重力に引かれて落ちるのは飛ぶことと同じ。

宇宙にある人工衛星というのは、ありゃ、「落ちてる」んですってね。簡単に言うと、重力に引かれて落ちるベクトルと、外に向かって飛ぼうとするベクトルがちょうどつりあって、永遠に「横に向けて落下」しているとかなんとか。
だから、傍から見ると浮かんでいるように見えてもそれは落下しているんだそうです。

で。
就職するということについて最近考えていたことなんですけども。
「定職」というものが持つ重力は本当に強いと思うんです。一度その重力圏内に入ってしまうと、これはちょっとやそっとでは抜け出すのが難しいと思うんです。
僕は、大学で「自分は本当に書きつづけてゆくに足りる人間なのかどうか」ということを試そうと思いました。どうやったらそれを実感できるのかどうか考えて、留年などをしてみました。
暇があれば書くのかどうかを確かめようと思ったのです。そしてどうやら、時間があれば何某か書く、書くことがあるということは理解しました。
そして、次に忙しくても書くのかどうかを考えて、就職してみたわけです。忙しい中、それに埋もれずになんとななるかどうか、試そうと思ったのです。
でもこれがなかなか。予想外の事態でした。確かに忙しいけれど「定職を持つ」ってすごく居心地がいいんです。不遜な言い方になるかもしれないけれど、苦労して小説を書いたりするよりもはるかに簡単に、自分の価値を認めてもらえる世界というのは、とても居心地がいいんです。毎日それほど面白くない仕事を続けるのは苛々することもあるけれど、忙しいから仕事以外のことを何もしなくても言い訳は立つし、決まった期日に決まったお金は入ってくるし、なんというか、ものすごい重力を感じたんです。引き寄せられる、という感じがしました。

そして同時にすごく恐ろしくなりました。
こうやって、定職の持つ重力と外へ出ようとする力とを、何となくでつり合わせて一見飛行にも見える落下でお茶を濁すというのは、うーん。僕というだらだらした人間には充分ありうる結末だな、と。
普段、僕はほぼすべてのことにおいて低きに流れることを良しとするのですが、それは海に出たいからであって、川の途中で淀んでしまう為ではないのです。

ということで、忙しくても、無理のようでも、居心地がよくても、ここで踏ん張らねば淀んでしまう気がしました。
そして、ここでこの重力を振り切って飛べれば、どこへだって行ける気がする。やみくもに重力を振り切ることだけを考えるんじゃなくて、飛ぶ方向を見据えて、ゆかなければ。