数年前から

奇妙な付き合いをしている相手がいる。ネットをしない人には笑ってしまう話だろうけれど、クラリス、というのを縮めて、クラ子、と僕はその人のことを呼んでいる。クラリスと最初に知り合ったのは、いつのころだろう。大学になるか、ならないかの頃だった。つまり、僕がインターネットをはじめたころ、ということだ。彼女はネットの古い友達がそうするように、僕を「オベロンくん」と呼ぶ。ヲベロンというのは実は最近になって改名したハンドルネームだ。
僕は、具合が悪くなるといつもクラリスに頼った。なぜだろう。付き合っているわけでもないのに、なんとなく電話をすると彼女は、仕方ないなあ、といって来てくれていたのだ。
当時から病弱で、倒れてばかりいた僕は何度クラリスに世話をしてもらったかわからない。駅で倒れて救急車に乗ったときも、最初に電話に出てくれたのはクラ子だった。
だが、そうやって必死で看病してくれたクラリスも、熱が下がったあとは、まるでそれをきっかけにしたみたいにどこかへ去っていってしまう。僕も探そうとはしない。まるで看病することだけを目的としたような、奇妙な関係だった。
クラリスは僕のほかに付き合っている人がいたのだろうか?たぶんいたのだろう。彼女はそれなりに魅力的だったし、世の中の男はほとんどみんな、弱い生き物だ。
僕は執着が弱い。付き合っていた子に「執着のなさがこわい」と言われておしまいになったことも幾度かある。あまりクラリスの普段の生活に首を突っ込んだことはなかった。今度、ちょっとたずねてみようかと思う。案外彼女もそれを嫌がらないかもしれない。
ともあれクラリスの話だ。
クラリスも執着の弱い人だった。
僕たちは、僕が熱を出すたびにふたたび出会い、そして熱がさめてゆくのとともに別れる。まったく不思議な関係だった。会いたい、とつよく思う健康な夜もあるが、そういうときはどうしてだか僕は電話をとらない。携帯にクラリスの番号が入っているが、健康な時、僕はクラリスに電話をかけたことがない。病気でない僕を見て、クラリスは果たしていつものようにやさしくしてくれるだろうか。それがおそろしいわけではないが、何かが壊れてしまう気がして僕はいつも途中で電話を放り投げた。

熱を出して電話を掛けると、クラリスはいつも何かの最中だった。ちょっと待って、と何かごそごそやってから受話器を持ち替える。いつもそうだ。そのしぐさが見えるようだった。彼女はいつも言った。「またなの?もう」。彼女の部屋は、実は急行で二駅だ。
小一時間くらいかけて僕の部屋へ来て、あなたは、弱いからいいのよ、とクラリスはいつも言った。僕は反論しようとするが、いつも眠気に襲われて、あやふやな声しか出せない。クラリスはいつも眠りに落ちる僕を見ている。そして、目が覚めると跡形もない。部屋のテーブルの上に、質素な書置きがしてあるばかり。
「うどんはうまいよ」
なんだよ。僕はその流麗な筆致で頭の悪い書置きに、いつもふにゃふにゃになるのだ。






クラリスって、抗生物質の名前なんだけどね。
というわけで風邪ひいておりまあーす。熱で耳たぶがぞわっとしてまあーす
もうだめなのでねる。部屋にクラリスがいる。僕は彼女にくびったけ。