仕事について思うことなど

ここ数日、仕事について思うことなどありけり。というわけでお仕事についてです。
皆様ご存知のとおり、このwebにおいて僕は職業年齢性別不肖というスタンスを貫いておりますわけですが、そのスタンスで語るべきことこそお仕事というものの本質なのではないかなあ、と思うのであります。

このところ、新入社員の人を相手に講義のようなことをする日々が続いておりまして、いささか荷が重いと思いつつも、新入社員に語る言葉はそのまま自分に跳ね返ってくるものだなあと思うことしきり。たとえば、何のために働くか、という問題や、どういう心構えで働くかという問題、どこで働くかという問題。語りながら、それが本当に正しいのだろうかと考え込む日々です。
ただ、会社に入社を決め、そこで働くことを選択したばかりの人に言うべきでない問題もあってここに息抜きとして記そうと思います。考えたことは外に出さなければ腐ってしまうものです。僕は言葉を溜めるために生まれたのではないのだし。
もしもそれがこれから仕事に就くということを考えている人への、何がしかの助けになれば幸いです。

なぜ働くかという問題について。
個人的に、働くことは社会と繋がるためのもっとも簡素にして強力な手段だと思っております。仕事を共有する個人個人は、少なくとも「仕事がある」という強固な事実によって連帯されております。つまり、仕事がある以上、一緒に居る理由が出来るわけです。つまり仕事がある以上、ほかに理由がなくとも一緒に居られる、会話をする糸口があるわけです。親密にならずとも日常を共にする他人を得られる、ということは孤独に陥りがちな人間にとってはたいへん有用なことだと思います。また、親密な相手としか付き合わないことによる精神の腐敗を防ぐ作用もあります。おそらく僕のこのスタンスは特殊で、もう少しソフトなランディングがきっとあるはずなのですがそれについては割愛。各自が思うことが答えでよいと思います。
何のために働くかという問題について
設問が上記と似ていますが、この場合は働くことによって何を得るかという、対価についての問題。何故、と、何のために、というのは分けて考えるべきだと思っています。前述のように、働くことによって人は他人との連帯、社会との連帯を得ることができます。そして、今度は働いたことによってもやはり、何かを得るべきなのです。それは個人的なもので構わないと思います。それはすべて、自分の「仕事以外」のために消費されるもので構わないと考えます。代表的なものとしてそこには金銭があります。それは、「仕事を継続するため」に使われてはならないと考えます。黒田硫黄の漫画にもっとも端的にそれをあらわす台詞がありました。「生きるために/金がいるんであって/誰も金のために/生きてはないだろ(茄子3巻・講談社)」。まさにそのとおりだと考えます。金のために金を稼ぐのはどうも違うように思います。利殖とか投資とかいみわかんなーい。B型ですしね。ともあれ。

続きはまた今度。