選択すること。

人の身にて齢重ねれば重ねるだけ、その分、身辺にて心動くこと多し。
さて今年は、人との出会いや別れが目まぐるしい一年でした。
中にはただ疎遠になってしまった縁もあり、逆に選択して別れた関係もあります。新しい出会いももちろん沢山ありました。これからするのは、ちょっとした愚痴のようなものです。

人と人が繋がるにあたって一番重要なものは、約束であると思います。例えば遠く離れてしまっていても、約束さえ生きていれば、それは繋がった関係だと思います。逆にどんなに近くても、約束をただ死ぬに任せてしまうようでは、繋がった関係ではないと考えます。
手を伸ばすということは、とても重要だと思います。
具体的に言うと先日、古い友人から待ち合わせをすっぽかされたんですね。久々でした。割とそういう傾向のある人だったんですが、ふ、と心が冷めてしまうのを感じたのです。
約束に手を伸ばしていたのが、まるで自分だけのように思ったのです。やがて来る約束であれば、相手を待つことは幸福です。少なくとも不幸ではありません。
でも、僕がその人と交わしたのは、約束ですらなかったのかなあ。そう思った瞬間、怒りのようなものが一遍に冷めました。
これが断絶なのだ、ということに気付いたのです。こちらがいくら手を伸ばしても、間には溝が広がっているのです。
そりゃあ人と人は、違う生き物である以上、完全にはわかり合うことが出来ません。でも手を伸ばし、あとちょっと、あとちょっとで伸びた相手の指先に触れるかも知れない、と暗闇に指をさまよわせるのです。
その暗闇で、相手の腕がこちらへ伸ばされていることを信じられなければ、それはやはり断絶なのです。

翻って我が身。
この暗闇に、沢山の人が僕に向けて伸ばしてくれている腕の数を考えました。同時にそのすべてに応えることは出来ません。僕の足りない腕が、誰かに断絶を与えていることを考えました。
どうしたらその断絶を、絶望的に手の届かない距離を、ただの空振りに、いつでも届く距離の、ただの空振りやただの寝坊の遅刻に変えられるものでしょうか。
もちろん、そこに答などなく、自分が人をどうこうできるなんていうのは多分思い上がりなんだけど、でも、その為には喋るしかないのかも知れません。喋り続けるしかないのかも知れません。
僕はここに生きていて、あなたがたのことを考えていて、手紙のかわりの物語を温めながら、下らない日々だけどなるべく誠実に生きていますよ、と喋り続けることが必要なのかも知れません。
以来、僕と、僕の周りの人々について考えています。クマリネさんが以前自分と読者の関係について書いていて、僕はどうなのだろうと考えてそのままになっていたことがいざ、思いも寄らない方向から突き付けられた感じです。
書きかけのことがどんどん増えてゆきますが、案外生きることはそんなことなのかも知れません。続く。