幸福の向こう側。

日々がルーチンワークだというのは、多分可能性が見えなくなっているだけだと思います。
似たようなことを繰り返すうちに、他のことがきっかけになって、前は考えもつかなかったことを可能にするものが必ず生まれてくるのだと思います。
そこへ到達するために必要なのは「繰り返した」という事実ではなく、もっと別のものなのかも知れません。
多分、それが交流なのだと思います。ひとりで出来ることを出来るようにただ繰り返すことは、今保持している系統能力の開花には必要な螺旋ではありますが、新しい可能性の発現にはあまり関係がありません。
軸を片手で掴んで着実に登る螺旋階段があり、それとは別に、飛び石を渡り歩いた軌跡がいつの間にか螺旋になるという成長もあるのではなかろうかと思います。
しかし前述のように、能力やポテンシャルは異分野の経験が複雑に作用しあって開花するものですから、まずは今持っているものを投げ捨てずに、新しい要素を取り込みにゆくべきではないかなあ、と思うのです。
可能性が可能性を生んで爆発的に開花するのです。
苦痛になるだけのルーチンワークをこなしたなら、土台は出来ている筈。ならばその先です。新しい風を入れなければ。

なんか最近、ルーチンワークの先にしか「一芸の極み」はない、という話を聞かされた時の違和感を書いてみました。
確かに極はルーチンワークの先にあるのだけど、ルーチンプラスアルファがトリガーであることを失念していると、特に仕事なんかでは奴隷的存在のまま終わってしまうような気がします。世界は怖いです。隙あらばあなたを支配下に置き、思考を奪おうと待ち構えています。
一見正しいように見える言説も、伝言ゲームの末に大事な部分が抜け落ちてしまったりします。
自分の目と耳と、肉体で感じた違和感を大切にしていきたいと思います。