時津風部屋

時津風部屋の事件でもっともわたくしが許しがたいのは、若い子の頭をビール瓶でどついたということよりも、身体に火を押し付けたということよりも、何よりも、格闘技という身体が資本の商売をやっているくせに酒とタバコをやっていた、というところであります。
お前その身体で一体何が教えられるのか。などと思います。

わたくしは実は、体罰などには割と必要だと思っております。ですが、相手を追いかけたり、逃げられない場所に閉じ込めたりして行うそれは、体罰以前に教育ではないと思っております。
教育とは、受け取るものであり与えるものではない、というのが信条です。
時には人を殴らねばならない、というのを教えるのが体罰だと思います。たとえそれが法に触れることになっても、たとえば、何かを失うことになっても、時には人と戦わねばならないということを、身体を持って教えるのが体罰だと思います。叩かれた、ということを教えるのではありません。こんな状況に追い込まれてしまったら戦わざるを得ない、という「殴る側」を教えるのが体罰です。
だから、安易な体罰は人間の底の浅さだけを露呈させます。ああ、この人程度の忍耐でも社会でやっていけるんだ、と思わせるのは罪です。正しくは、幾らこの人でも殴らざるを得ない状況がある、ということを解ってもらうために体罰は必要なのだと思うのです。
というわけで、無駄な暴力で人が死んだ、というのは単純に悲しい事実だと、思うのです。