言いたいことが減ったんじゃない。

たぶん、以前より話すことが増えたのだと思う。それはたぶん、幸福なこと。
新しい生活を始めてみると書かなければならないと思う発見や手掛かりが多すぎて、手に余って書きにくくなっているのは本当。

本日ぼんやり考えたのは、人間社会における「淘汰」の位置付けについて。
社会装置自体が特定の弱者を指定して保護する場合、それは逆の言い方をすると、特定の「淘汰」を否定しているとも言えるんじゃないかしらん。
それが「何故否定されているのか」を考えると、なんか傾向のようなものが見えてくるようなこないような。