世界の二階で。

ちゅわけでほんのり思ったことなど。
最近事件が起きる度に取りざたされるwebだのblogだの掲示板だのの扱いについて。

たかだか一行二行の書き込みから犯人の心理だの行動の謎を分析しようとする人々って一体なんなんだろうと悩んでいましたが、そもそも、書くべきこともないのにわざわざwebスペースを確保して日々「今日もダルかった」とか「バイト疲れた」とか、律儀に毎日一言づつ書き残してゆく人々は一体そこに何を求めているのか考え始めたら怖いことになってきたのでやめます。やめました。
原理主義的に言ってしまうと、『誰かと繋がりたいが面と向かって話しかけるのは億劫だったり怖かったりだけど、誰か俺を見てくれねえかなあtoラブるのララちぃみたいな人がどこかにいねえかなあ見つけてくれねえかなあこれが俺なりのサインなんだけどなあなんて部屋の壁向いて暮らしながら毎日数行の独り言をwebにアップロードしてゆく人々』の救いようのなさについては、誰にもどうもできないし、徹底的に「ないもの」として扱ってあげるしかないような気がします。
もっとも、それをさらに突き詰めると、じゃあヲベロン太くんは何か彼らとは違う確固たる何かがあって書いてるの?とか聞かれてしまって難儀するんですがともあれ。

マスコミが騒ぐ、犯罪予告の早期発見対策を強化するべきでは?、みたいなのはむしろ逆だと思うのです。やるなら2ちゃんねるに「予告板」を作るんで十分過ぎるほどです。
救いようのない独り言はwebの海に沈み、消えてなくなるべきなんです。そんな構われたがりの連中をわざわざ探して、構ってやることはないんです。

webは親しく人を迎えてくれるように見えますが、実は逆でただ、拒否しないだけではないかと思います。出て行け、と言われない世界を求めている人には大事なファクターだとは思いますが、それは「繋がっている」のとは少し違うと思うのです。
でも、それでも、自分は世界に拒否されっぱなしだと感じ続けて来た人にとって、webは素敵な世界に見えるのかもしれません。
知れませんがやっぱり、誰もいないところには誰もいないし、いつかそこには気付かなきゃいかんのです。
子供達や、ものを考えたことのない人々が気付けずにいるのなら、教えてあげるべきなんだと思います。
ここは、現実の二階。
現実がなくては二階は存在しないんです。
二階で独り言を続けても、誰も聞いてくれないのは当たり前なんです。誰も好きこのんで他人の家の二階なんて詮索しません。
手当たり次第に石投げて誰かが怒鳴り込んでくるのを期待するんじゃなくて、ちゃんと招かなきゃダメなんです。あなたが、あなたに見てほしいって言わなきゃダメなんです。
「誰か」なんて人はいません。
いないんです。



ちなみにさっきの答えを言うと僕個人は、忘れないために書いてます。生来忘れっぽいもので。
だから、疲れたとかダルいとか憎いとかそういう、基本的に忘れても構わない事柄についてはなるべく書かないようにしています。
僕の二階は倉庫兼住宅。いずれは墓碑。そんな感じです。
それでも、あなたを思いながら書いてます。何千、何万のあなたを、ただ一人のあなたのことを考えて書いてます。

届いているでしょうか。届いているといいな。