心せわし。

いそがしい、ではなく、せわしい日々。
昨日は携帯を忘れて外出しまったため、更新が一回飛んじゃいました。残念。

ともあれ時折webでも目にする言説「お金以外に人生の意味を見い出して豊かな人生を送ろう」というものについてつらつら考えています。
これは会社勤めの身には難しいんじゃないかしらん、というのが最近の結論。
正確には、「稼ぎに対する手取りの少なさ」について目を背けるのは「仕事」をしようという行為と根本が矛盾している、というお話。
お金以外に価値を見つけるのはそれぞれの勝手だけども、だからって「生活するに足りる分以上については賃金の多寡を気にするな」っちゅのはおかしな話なのです。

経済活動、というとアレですが、生産だ加工だといった技術料も、手配だなんだのケツ持ち料も、原価にプラスして幾らを懐に入れるかが、商売のカナメな訳です。
ゲインを上げるかコストを下げるか両方するかして、懐に入る金額を増やすのが商売です。
ここに時間効率の問題や、商売規模の問題が絡んできて、一概にくくりにくいような気がするのですが、実はそれは誤解でしかないのです。

繰り返しますが商売とは、コストとゲインの差額を如何に広げてたくさん残すかというだけの遊びなのです。
そのため、マナバーンを恐れずに薄利多売という戦略デッキを組む人もいます。時間あたりのEXP効率を追及してソロ狩りする人もいます。
支払ったコストをどういうスパンで回収し、どれだけの利益に繋げるかはそれぞれに任されているものの、自分が短期中期長期いずれでも「取り返せる見込みのない損」を「しない」のが商売です。
それが中長期で見た撒き餌などでない限り、全てのコスト分はペイできるように商わなければなりません。

つまり、原価、コストを把握せずには本当の商売はできない訳です。

「この給料じゃ泣けるなあ」というのは、「商売存続のために切り詰めるコストの筆頭は、自分のサラリーではないはずだ」という疑問である限り、全く正しい言説になると思うのです。
言い換えます。

原価が分からない状態では商売ができません。
商売をする以上、幾ら残ったかは把握できます。
その残った額について、利益の再分配がきちんと為されていない場合は、「この給料で俺を飼えると思うなッ」ということになるのも当然よね、という話なんです。

昨今、暮らすに不自由ない金額を貰ってるなら文句言うな、という風潮がありますが、それは参加してない外野のがやがやであります。
会社仕事という商売が、利益を追及するゲームである以上、利益を求めるべきなんです。人生の少なくない時間を割いて参加するゲームである以上、結果に対しては適正な分配を求めてゆくべきなんです。

仕事にやりがいを求めるのは自由ですが、それが楽しいのは、必要条件でも十分条件でもない「自分ルール」だからであります。
意味ないから楽しいんです。
やりがいの有無というのは、仕事自体ではなく仕事をする我々個人に準拠するものであるから楽しいんです。
その意味において、僕は仕事にやりがいを求めません。仕事は仕事であってくれればいいと思います。
だから、今の仕事が楽しいかどうかという質問には一概に答えられないし、それでいいように思います。
人生のうちの、仕事に割くリソース、狩りの効率、得られる報酬のバランスが保たれているかという意味ならば、最近ようやく軌道に乗ってきてます、とお返事できるようになりました。

個人的には、雇われ仕事に割くリソース割合を、果てしなくゼロに近付けるのが目標でありますゆえ、当面はそこに重点的なテコ入れを行う予定。