タバコについて。

いつか、id:zidrakさんの、支援教育についてのトピックについてすごく読まされましたということをお伝えしつつ、僕は僕で思ったことを書きとめようと思いつつ、なかなかまとまらなくて後回しになってしまっていたんですが、先日のアレな呟きであるところのタバコのトピックについてコメントを戴いてしまって、追記としての今回のエントリー。

前回の僕のエントリーは、基本的に「趣味人ならばしっかりしてよ愛煙家!」というちょっとばかりのエールと、しっかりしてない自称愛煙家はイヤンなのよ!という叫びで書いたものでありましたが、世の中の愛煙家を取り巻く状況は、障害者問題やら差別問題やら戦争補償問題、人種問題などなどに似た構造の、非常に面倒くさいバイアスが出来上がってしまっているというお話なんですね。
タバコについての問題もそうですが、生まれてしまった以上「第三者」になることが出来ない類の議論は、決して結論を見ることがありません。全員が喫煙者か非喫煙者であり、有色人種でなければ白色人種であり、健常者でなければ障害者なんです。その垣根を越えて、両方の属性を同時に持つことは基本的に不可能なわけです。
つまり、当事者同士の議論になってしまうために感情的になりやすく、さらに面倒なことに、声がでかい方が勝つというよりは、「最初に虐げられた方がつよい」というような傾向があるように思います。いわゆるプロ市民的なアレとかもありますが、公平に、バランスを取るべくして動こうとして、どうしてもバランスを取りすぎるような一面があるなあ、と思います。
個人的には、ご飯のときにタバコをドカスカ吸われると辟易してしまうので、正直な話、隣の席のオッサンを蝋人形にしたろかな、と思うこともあるんですが、現在はその怒りを、なるべく愛煙家全員を復讐対象に広げるような、概論めいた結論を出さないように心がけているつもりです。

というのも、以前は実は、野球部員憎けりゃ坊主全員憎い的な感じで、タバコは本当に悪癖だなあと思っていた時期があったんです。冷静に考えてタバコっていいところが一個もないぞ、と。
そんな頃にふっと聞いた話がこれです。
タバコの小売業の許可について
タバコというのは、ある程度安定して売れるものなわけですから、なんか、この制度のおかげで助かった家庭は結構いるんだろうなあ、と思ったら、いわゆる公共福祉に寄与している部分が一点もないぞ、というのはアレなんじゃないかなあとか思ったりしたわけです。鼻息荒く、「タバコは全人類の敵!」という論調を信じていた頃には知らなかった情報でした。「全人類から生活に困った寡婦家庭を除いた全員の敵!」とトーンダウンすると、途端に一歩、引いた目線で見られたんです。
よく、タバコ税の使われ方がどうのこうの、という議論があって、結局タバコを撲滅した方が医療費だなんだでエコノミカルだと社会有益だとかなんとかというアレがあるんですが、そういうのを聞くたびにコレの話を思い出すんです。
この辺の歴史には目をつぶるのかしらん、と。

個人的にはやっぱり、路上喫煙禁止の千代田区で不機嫌そうにタバコふかしながら歩いてるオッサン連中を許せないんですが、自分の狭い見識だけで、概論として「喫煙行為すべて」に結論を出し切るのはちょっと早計だなあ、と思うわけなんです。とりあえずは、お巡りさんにそのオッサンをしばいてもらえばいいだけの話なんですね。
だから、僕はあくまで自分の手の届く範囲で、自分に迷惑をかける喫煙者に対しては「ちょっと止めてよ」と表明をするし、迷惑じゃないなと思ったらどうぞご自由にと思うことにしております。結局、物事は突き詰めるとマクロではなくミクロに戻ってくるしかないのかもしれません。身の丈を超えることというのは、どうしてもひずみを生むと思います。

えーと、結局何が言いたいかというとアレです。
前のエントリーは、「趣味人としての喫煙者」に向けてのエールのつもりが終わってみたら、ほとんどが「だらしない喫煙者」への罵倒になっててはずかしいっ。ということですね。ごめんちゃい。