マトマラーヌ。

すこし引用。

会社に、すこし障害のある人が働いている。
掃除が仕事で、朝から、夕方の五時まで箒と塵取りと、雑巾を持って働いている。Tちゃん、と僕は彼のことを呼ぶ。彼は僕よりも三つ四つ年上で、会社に入ったのも何年も先輩なのだけれど、Tちゃん、と僕は呼ぶ。でもそれほど仲良しってわけでもない。

Tちゃんは電車がものすごく好きで、食堂で居合わせたりすると電車の話しかしない。小田急線のロマンスカーの新型がロールアウトしたときなんか、息継ぎの合間にいちいち「ロマンスカーかっこいいね」と挟むので笑ってしまった。以前、はてダでも書いたが、大事そうにお財布の中に「くわがた」をしまって見せてくれたのもTちゃんだ。

Tちゃんは、人との距離のとり方があまりうまくなくて、正直時折うっとうしいところもある。いわゆる「構われたがり」で、お昼時になると視界の端に顔を出して、誘ってほしそうな顔をするのだ。そのくせ、誘っても「風邪気味で食欲ないの」などと、曖昧な笑顔で言ったりする。そこで突き放さず、そんなこと言わないで行こうよ、などと構ってあげるとTちゃんは考えるふりをして、後ろからついてくる。ちなみに、Tちゃん、いっつもご飯を食べるのめちゃめちゃ早い。たぶん、あんまり皆が誘ってくれないからお腹すいてるんだと思う。

そんなTちゃんのお父さんが先日、亡くなったらしい。
僕はTちゃんとは普通に他人で、何の関係があるわけでもないんだけれど、なんか色々考えてしまった。Tちゃんは、例えば天涯孤独になったとしたら、どうやって生きていくんだろう、だとか。Tちゃんも貯金とかしてるのかな、とか。
余計なお世話で、上から見おろした物の見方だっていわれるだろうけれど、でも、なんだか考えてしまった。心配、とは少し違うのかもしれない。それは途方もない気持ちだ。まさに、途方もない気持ちだった。

僕は、最近途方もない気持ちになることが多い。自分の手を離れ、身の丈に余るものを思う。海中に降り積もる微生物の死骸のように、体の奥底に何かが貯まってゆくのがわかる。静かに、静かに海底へ、白いものが沈殿してゆく。
まだそれを掬うときではないという気がしている。黙って暮らしている。

Tちゃんは、お父さんが死んで一週間もしないうちにまた、会社へ出てきた。ご飯行こうよ、と誘うといつもの「風邪気味で食欲ないの」って言う時に似た、曖昧な笑顔のような表情で「親が死んだから食欲ないの」と言った。

一昨日、事務の女の人と一緒に、Tちゃんに甘いものをあげる同盟を結成した。その人はもうすぐ会社自体を辞めてしまうのだけれど、僕はまだもうしばらくここにいる。余裕があるときには、きっとTちゃんに飴玉を分けてあげようと思う。

その同盟相手とTちゃんの話をした。
「Tちゃんでも、親が死んだっていうのは、ちゃんと判るのねえ」と、彼女はやはり、途方もない口調で呟いた。確かにTちゃんはばかではない。ボーナスの入った袋を覗いて「すくねぇ…」と呟いたのも聞いた。でもやっぱり、Tちゃんは完璧には判ってないんじゃないかと思う。

Tちゃんは一週間前と同じように、黙って床を拭いている。Tちゃんが何を考えているのかは、僕には知る由もない。
背中を向けて床を拭いているTちゃんの、その汗で染みたTシャツの向こうに、僕は色々な人の人生を見る。僕がこれまで逢って、見て、擦れ違って、言葉を交わして、ほんとうの名前を教えあったたくさんの人のことを考える。

僕らは世界の残酷さについてあんまりにも無知で、他人の人生を追体験することなんて出来ない。この世の残酷さを和らげることなんか出来ない。だからせめて、飴玉をいつも持って歩くようにしようかと思う。

Tちゃんに「飴、いる?」と尋ねるとTちゃんは条件反射のように例の表情で「要らない」、と言う。「飴嫌い?」と聞くと今度は返事に困ったみたいだ。僕はベルトバッグから飴をつかみ出して、「まあ、取っておきなよ」とおしつけるようにTちゃんへ渡す。

今日一日で3回飴を押し付けたら「またあ?もう、いいよお」と言ってTちゃんは笑った。

この会社はもう、なくなってしまって、Tちゃんの行方も分からないけれど、時折、僕は彼のことを思い出す。
一緒に働いていたMさんやSさんのことと同じように思い出す。
そろそろ、底に積もったものを掬うときなのかもしれないし、もしかしたらその、積もったものこそが僕なのかもしれないとも、時々考える。

時間は僕らに平等に進む。その残酷さを少し、うつくしいとも思うようになった。