犬とバケツ。

知らぬ犬だった、といってもよいのだろうか。
わたしは彼の名前を知らなかった。ただ、月に一度二度、彼の住む小屋の前を通り過ぎるだけの通行人だった。

わたしは彼の小屋を見るたび、横の門柱にかけられた古ぼけた「猛犬注意」を面白く思った。彼は、かつて猛犬だったことがあるのだろうか。
わたしの視線の先の彼は古い毛布の上に寝転んでいるばかりで、それは、老いたというより生来の穏やかさに見えた。

しばらくして、猛犬注意の下に手描きの注意書きが足されていた。
「人を噛みますので、餌を与えないでください」
彼は相変わらず泰然と寝転ぶばかりだった。誰かに飛びかかったのかしら、とわたしは思った。しかし、彼はわたしの前では相変わらず紳士だった。

さらに数ヶ月が過ぎ、注意書きは文面を変えた。
「老犬です。何でも食べてしまいますので食べものを与えないでください」
なるほど、とわたしは少し笑ってしまった。前の貼り紙は、かつて猛犬だった彼のプライドと、この現状との折り合い地点だったのだろう。
わたしは鞄を置き、彼を見つめた。鼻先をひくつかせて彼はわたしを見た。彼の瞼は垂れ、その奥は暗かったが、確かにわたしたちは見つめあった。わたしはなにも言わなかった。
門柱には、まだ「猛犬注意」がかかっていた。

わたしは今月で仕事を辞める。
仕事が嫌になったわけではないけれど、ぎすぎすしてゆく職場の雰囲気に耐えられなくなったのだ。
貧しいわたしたちは、今持っているものを守るだけで必死だ。わたしたちは、そのためならば何をしても許されると思ってしまっている。
わたしたちは、自分の仕事が椅子取りゲームのようなものであることを知っている。自分が手にするささやかな給料のために数字を弄んだり、筋の通らないことをしている。
すべての悪徳をわたしたちは会社のせいにして手を汚し、会社はそうなってしまった原因をわたしたちのせいにしている。

わたしはこの輪から抜けようと思う。この先には何もない。わたしを惹きつけた引力のようなものは、ここにはもう残っていない。
わたしは、ただ、離れる。
離れてゆくのだ。

今朝、わたしが通りがかったとき、彼の姿はなかった。
代わりに、青いバケツが逆さまにして置いてあった。バケツには彼の写真が貼ってあった。写真の横には、手描きの貼り紙があった。
8月の末に彼は天国に行った。14歳だったという。愛してくれてありがとうございます、と貼り紙は結ばれていた。

わたしは今朝、彼の名前を初めて知った。だから知らぬ犬である、といってもよいのだろう。
わたしは足を止め、鞄をおいてバケツを眺めた。
彼がここにいたことを、たくさんの人が知っているのだろう。そして愛しているのだろう。もしかしたら、猛犬だった頃の彼に齧られた郵便配達も、近所の悪ガキも。そして、ささやかながら、わたしも。
わたしは、今はバケツが場所取りをしている彼の定位置を記憶に刻んだ。

門柱には、まだ猛犬注意。あの幾つかの貼り紙を思い出して、わたしは少し笑った。
来月、わたしはもうこの道を通らない。わたしは仕事を辞める。
わたしは笑って立ち上がる。わたしは晴れやかにさようならを言うだろう。彼のバケツを覚えておくように、わたしは何年か勤めた今の会社のことを覚えておくだろう。