グチコボシーノ。

人の気持ちが判らない人、というのは単純に自転車に乗れないとかその程度のハンデと同じようなものなので、さほど気にはならないというか、ああ、この人は人の気持ちが判らない人なんだと認識することで「仕方ない」のカテゴリに突っ込んでしまえるのでむしろ楽なのだけど。

人の気持ちを無視する人、ってのは、こう、あらゆる局面でダメかなあと思うようになってきました。
そういう人に限って、自分の気持ちを無視されることに鋭敏で嫌よねえ、というのはすでに書いたこともあるのだけど、それに加えて、他人に対しては人の気持ちを尊重するよう説教したりするのよね。
片方の手では「受け手が嫌な気持ちになったらそれは直すのが当たり前」って叩き、逆の手は「そんな風に受け取るのが悪い」って叩く。みたいな。叩いてばっかり。

自分ができてないことを、他人に説教するのは、こう、僕には無理だなあ、とも思うのですが、たぶん彼らからは「わたしは出来てないんじゃなくて『あえてやらない』だけだからノーカンでOK」みたいな、斜め上の返答が帰ってくるのだろうと思います。多分それは「出来ない」のカテゴリに入れて平気なんだけど。
ともあれ。
自分の出来ないことをあえて必須科目のように発信することで心のバランスを取っているのかな。わたしは欠落してないったらしてない。あえて切り捨ててるだけで、できないわけじゃないんだから。みたいな。証拠にこうやって正論で説教もできる。みたいな。知ったこっちゃないけど。バランス取りたいなら夜、家でやれよ、とか思うけど。

ともあれそんなこんなで矛盾したことを言われ続けることに慣れて来ました。たぶんこれは「おまえが悪い」と言わないと「わたしは悪くない」と思えない人のすることなんだろうと思います。
一応良心の呵責らしきものは有るんだろうけど、相対的にしか自分を高められない時点で、こう、信念はないと思います。信念のない人の言葉は、心に響かない。あなたのその非難は、僕をどうこうするためでなく、あなた自身の心の平穏のためだから。