結果と過程

努力の過程と結果とどちらが大事なのかという無意味な論争があるけれど、めんどくせえからもうその話やめろ、とか思ったりもします。

すっごく単純に言っちゃうと、勝利条件と敗北条件の話に過ぎないんです。
売上額の話で言えば、月間1千万の予算設定とその達成が「勝利条件」ならば、同じスコアでクリアした人が二人居て、Aには努力の跡があり、Bには才覚の跡しかないとしたら、Aが評価されるのは当たり前の話。
なぜ当たり前かと言えば、「努力」というのはスキルの底上げ能力あるいは底上げメソッドですから、運用次第では化ける可能性があるのです。
自分の能力を3倍に上げる「才覚」という固有スキルと、自軍ユニットの能力を5%底上げする汎用スキルは、局面次第でどちらが有用かは変わります。ま、仕事なんかだったら、明らかに後者の方が有用ですよね。
つまり通常の勝利条件の他に、次回のプレイで他プレイヤーにも応用可能なメソッドを示したから評価されるということ。繰り返した場合、あるいはチームを組ませた場合に、「化ける可能性がある」から評価されやすい、ということ。同スコアなら、プラスアルファがあった方が有利に決まってます。

一方、1千万の売上未達が「敗北条件」の場合、どれだけ努力をした結果だったとしても無駄です。会社潰れたら「次」はないから。キャッシュフロー死んだらおしまいだから。
もっとも死に直結する敗北でなければやはり、内容を評価することにはなると思います。前述の通り、次に繋がる要素のある方が、より評価されるでしょう。

でもって、愚かしい論争にあがるのは、売上目標を満たせなかった努力の人Aと売上目標を満たした才覚の人Bという比較なんですね。
一般に敗北条件の設定されていないケースでは、勝利条件を殊更明確化しなければなりません。
売上目標が勝利条件なのか敗北条件なのかで話は変わります。勝利条件だとしても、今月限りという短いスパンでの話なのか、一年スパンなのか五年なのか十年なのかでずいぶん様相は変わります。長いスパンであればあるほど「次回に繋がる要素」は重視されますよね。
あったりまえの話です。

だから、努力と結果について話すなら、まず勝利条件と敗北条件、そしてスパンについてを統一してから語るべきなのです。

例えば古文書の修復に開発されたばかりのセロハンテープを使った問題なんか本当にそうなんですが「当時は」完璧で画期的な方法だったと思います。これは「安価に素早く、読めるように繋ぎ合わせる」という勝利条件に対しては正しく百点の「結果」でした。
地道に繋ぎ合わせるとか、並べたあとアクリルで挟むだとか、そんな感じの手間のかかる努力は「無駄」と判断されたことでしょう。

でも、時間が経ってみると、勝利条件に対して近道をした事が仇となってしまったわけです。「安価で素早く」が「読めるように」を大きく損なうことになってしまいました。けれどそれは、「当時は」予見出来なかったことでもあるし、「当時の勝利条件に対しては」比較的正しい答でした。

これは、スパンをどうとるかの例え話です。「結果」だって経時変化するって話です。回収できない売上手形はむしろ毒になる、みたいな話です。

まー、ともあれ、どっちも大事だと思うので、否定し合わないほうがよいと思いますよ僕は。