ルールと倫理

このところ、同じテーマと考えて差し支えのない物語が連鎖的に目の前に現れてくるので、もう、これはこれが世界の潮流なんだなと思うことにしているのですが、社会のありようについての物語。

古くはトロッコ問題から始まり、有名どころの漫画でいえばヴィンランドサガの奴隷編が直接的にそのテーマでしたし、長らく主題まわりを描いていた罪と罰がいよいよ直接的に語り始めたり、あとは私事ですが今勤めている会社で50代の人が即日解雇されたのを目撃した話など。
少数を殺せば多数が生きる、というありふれた状況についての物語です。
視点を「集団」にとれば、それは当たり前のように是とされるものですが、その集団を構成する個人個人にとってはそんなに簡単ではありません。
個人に対して為される、いともたやすく行われるえげつない行為ってのは、こう時空を超えてあらゆるところに存在してて、それをどう解釈してどう対応してゆくのかという話です。
自分の身に降りかかってからでは対応行動しか取れませんので、なんとか、当事者になる前に考えておきたいこの問題。
トルフィンは当事者として考えて答を出しましたが、大多数の我々はどちらかというと箕輪さんの立場です。

見て見ぬ振りをするのか、仕方ないね、で済ませるのか、むしろ尻馬に乗って適者生存を叫ぶのか、無為に反対して遅滞戦術を取るのか、概論は棚上げして目の前の状況解決のための特別な手を打つのか。

そのどれでもない道を模索するのが今のトレンドのようには思うんですけれども、それすらも実はトロッコ問題の根本的な解答にはなっていなかったりもして、まあ、難しいですよね。

ただひとつ忘れてはならないのは、僕たちはどんなに集合しても個人個人でしかないということです。
集団に同化してしまって、生身の身体感覚を喪うのは、本当に恐ろしいということです。
それがロジカルモンスターです。誰だって傷つくし、誰だって本当は笑うんですよ。