仕事について。

前回の続き。
仕事というものは、あくまでも人間にとって対等でなければならないと思うのです。それはとても恋愛に似ていると思います。『この人が居ないと生きられない』という風に切羽詰る恋愛が少々息苦しいように、働き始めからこの会社で働いてないと生きていけない、というのは少々難があるように思うのです。
この世界では、大多数の人がそれぞれ自由意志で、自分の自由を信じながら他人とつながっています。会社選択もそれと同じで、自分にとって看過すべからざる事態が起きた時には、迷いなく、堂々と捨ててよいものだと考えます。
ただ、それこそ恋愛と同じで、個人と会社、個人と社会とはやはり関係でありますから、心揺らぐことがあっても相手からの信頼を感じる限り、信頼を寄せられている限り、最低限それには答えるべきだと、僕は思うのです。

こういうの、どういう風に教えたらいいのか判らなかったんですが先日の話。
後輩ちゃんと歩きつつ、隙あらば「サボるよ!寄り道するよ!」と秘伝を教えてばかりいたわたくし。最終奥義である「得意先などを回って直帰」という技を教えた時のことです。
ルート設定をした最後の一件は、実はこっそり寄らないでも寄ったことにしてしまえば誰も気付かないところではありました。
後輩ちゃんはいつもの調子で僕が、「最後のところは実は寄らない!さっさと帰って残業代丸儲けするよー!」と言うものだと思っていたらしく、実際、そのようなことを聞かれました。それはさすがに職業倫理にもとるのでダメよ、と言うと少し考えることがあったようでした。

貰っているお金の分は最低限働く、というのは社会との超えてはならない一線のように思います。社会は僕らから搾取しようとするけれど、僕は社会から搾取しようとは思わないのです。対価を支払うのは必要です。どれだけ下らないものであろうと、タダで頂いてしまおうというのはあまり褒められた生き方ではないように思います。価値のないものであればそれは盗む必要もないものです。それを手にしようと願う以上、どんな下らないものであろうと、その人にとっては幾許かの価値があるものなのです。価値のあるものには相応の対価を払うことが、敬意を持って人と接するということです。

人生ですべきことは、実はすべて同じルールの上にあります。それは、名誉をもって生きるということです。
確実に倒せる相手とは決闘しない。なぜならそれは決闘ではなく虐殺だから。絶対に倒せない相手とは決闘しない。なぜならそれは決闘ではなく犬死だから。
自らの身を晒さないところに名誉はありません。しかし、晒せばいいというものでもありません。
仕事と付き合う上で、その仕事をしたことによって得るものが正当かどうか、常に僕らは判断していかなければなりません。中長期的な視野も必要です。五年後のために今、苦労をするかどうかもそれぞれの未来予想です。ですが、一方的に自分の利益だけを考えるのではなく、社会が、会社が僕らに与えるものについても考えなくてはならないと思うのです。僕らは社会と対等に生きているのです。
僕らは明日の生計というわが身を晒して、社会と対峙しています。
だからこそ、名誉を持ち、対等の相手として相手を認め、自分から盗ませないことを、相手からいかなるものも盗まないことを誓って生きていかなければならないと思うのです。
たとえお互い、値切ることはあったとしてもね。

なんか後輩ちゃんにもその辺は伝わったようだったのでちょっと、なんか僕としても少々嬉しくなりました。たぶんもすこし続きます。

今日はちょっと遊びに出かけます。ひさびさに友達と会うんだぜ。