本当にごぶさたしておりますねえ。

おはようございます。ヲベロン太です。いまだおうちの回線は開通しません。アウトオブネット。スタンドアローン。炊飯器も掃除機も洗濯機もあるので本当に生活に困りません。ワンマンアーミー。うちの洗濯機使いなよ!と胸を叩いていた交際相手も、僕が洗濯機買って以来、とんと部屋に誘う口実を見失っているようです。
まあそれはともあれ「自分探し」の話。
最近また、ちょぼちょぼと聞くようになってきたこのワード。
先日のluceさんの日記で取り上げられていてちょっと面白かったのだけれど、なんていうんでしょう。これって要するに「青い鳥」の話なんですよね。民話の。幸せ探す兄弟の。美談の。アレ。
つまり、誰かが「ちょっと自分探ししてくる!」と宣言したとき、すでにその物語は「色々なところへ行ったけれど、結局自分は自分の中にいたんだよ」という結末が約束されるんです。つまり、彼らが出るのは先の見えない旅ではなくて、予定調和の旅なんですね。
たとえてみるならば、「さあ、旅に出よう!」ではなく「さあ、旅に出て、そして帰ってきて、やっぱり家が一番ね、と呟こう!」と決意するようなもの。こりゃ旅の意味ないですね。お粗末です。

僕が自分探しとか何とか聞いてちょっとうんざりするのは、多分この欺瞞に満ちた「旅する」ってポーズに理由があるんだと思いました。どこかへ旅するのならば、「ここには何もない」ということを確かにしてから出かけてもらいたいものだと思います。この町で生まれ、この町を愛しているけれども、自分の求めるものはここにはない。ゆえに愛した町だが出てゆくのである、というのが正しい旅立ちの姿ではないかと思います。はい。