秘密結社を作ろう。

ここ数日、もう年単位でwebから遠ざかっていた人が珍しく日記を書いているのを目にして以来、何か返信のようなものをしたいなあ、と思ってばかり。常々その人とは立ち位置の違いが大きくて、話がかみ合わなかったり怒られたりすることが多いのだけれどともかく。
思い出したので覚書。

サークル活動にせよ何にせよ、集団で継続して何かをやってゆくならば、「特定の個人に負担がかからないような活動」が絶対に必要である、という前提について。
これについては僕、どうも素直にうんそうだなあ、と思えないのであります。実は僕、ここで言及されている若竹の会にも、その他幾つかのコミュニティにおいても末席に加わっておりました。若竹の会というものを知らない方にはちんぷんかんぷんな話題になってしまうので補足すると、それはTRPGをメインとした集まりでした。東京の外れの方でごく小さなコミュニティでしたが、月に一度、集まって遊ぶ会です。
もちろん、僕はそのコミュニティにおいて、負担をかけられたという自覚は無く、自覚がないということは(僕に対して)負担のない参加の仕方をしていたんだろうと思います。そりゃお客さん根性だよ君、といわれてしまうとそれまでなのですがともかく。

話題を具体的に、若竹の会を取り上げて申し上げると、僕は求心力に憧れてあの会に参加していた気がします。憧れてっていうのは違うかな。なんというか、そこで語られる物語そのものに魅力を感じて、と言い換えても良いかもしれません。
それは、ダルセニアンという物語というものがあって、そこに介入してゆくという面白さでした。僕はもっとも、それまでTRPGというものを遊んだことがなかったので、それは本当に斬新な体験でした。たとえるならば、というか、そのままの表現になりますが、即興で物語を作る遊びだと思います。
その頃から、小説を書く、ということの閉鎖性について、ぼちぼち考えていました。一人でやっていると書き直したり何したり、なかなか進まないのです。当たり前ですが、やっぱり作者の意表をつくようなことはなかなか起きないんですね。
その点、即興でアイデアを出し合って、あるいは邪魔しあったりして一個の物語を作るということについて、若竹の会はある種の答えだったように思います。ですが、それはあくまでも「主催の物語」であることが前提だったと思うのです。僕はその物語を横取りしようとは思いませんでした。横取りというには語弊があります。もっと正確に言うと、「僕は、多津丘〆葉という人の物語を横聞きしに出かけていた」のであります。ゲームとしても勿論面白かったですが、僕はどちらかというと、そこに湧き出る物語を聞きにでかけていたのです。
面白い物語を考える人と、TRPGという形式をとって物語を応酬するというのはとても面白いことでした。ですが、そこに絶対的に必要なのは「観客」ではなく、やはり語り部だったのだと思います。

ここからは、基準を「僕だったらどう思うか」というものにとるので、おそらく多津丘さんにとって有用な組織論や創作論からは離れてしまうと思うのですが、僕、一人でもやれるってことが結構物事の根幹じゃないかと思っていたんです。一人でもやれることに、他人を巻き込むから面白いんじゃないかなあと思っていたのです。
これは、今も基本的なところでは変わっていません。僕は人と自分の人生というものが、点で交差することにたまらない面白さを感じるのです。一瞬、一瞬だけ同じ場所にいて、同じ事件、同じ風景を共有するけれど、それぞれ違う物語を生きているんです。ここでは脇役、別の場所では主役、世間に生きる生身の人々も、物語に登場するたくさんの人々も、二つの軸を生きているんだと思うのです。
そして、若竹の会は、「多津丘〆葉の物語世界」だったのです。
まだ学生で時間があった頃、僕はそこにほぼ毎回参加していました。もちろん、僕が欠席しても会は立ち行かなくなりゃしません。でも、主催がいなきゃあそうは行きません。ここまでは当たり前の話です。
では、主催だけしかいなかったらどうだっただろう?
僕はこの問いに対して考えて随分答えが出ませんでした。いつぞや、せっかく広い会議室を借りたのに誰も来なくて、待っている間寂しくてたまらなかったという話を聞いたときから、この答えが出せずにいました。

少しだけ大人になった今にして、少しだけ思うのは、若竹の会が「物語を作る」とか「始めた物語を完結させる」ということを目的に集っている会ではなかったのだなあということです。たぶんあれは、月に一度、人がおしゃべりをしたり、集まったりするということのほうが大事な会だったのでしょう。だから、誰も来ない会議室には寂しさが入り込み、主催の心を磨り減らしてしまったのではなかろうか、と、ようやく思うようになりました。
『TRPGは一人では出来ない、物語をただ書くのとは違う』
僕に決定的に欠けていたのは、たぶんその視点なのだと思います。僕は根本的なところで、「他人がいないと成立しない物語」というものがあるということに無頓着でした。書くことはその人にしかできないことであり、若竹の会で僕がなすべき役割というのは、月に一度の物語の続きを聞かせてもらう「お返し」に、幾つかアイデアだったり意表をつくことだったり感想だったり、語り部が楽しく物語を出来るようなファクターを提供することではないかと思っていたのです。
会自体が消滅してしまった今、少しの悔恨をもってあの頃を思います。

でも僕は今も思うのです。
本当に続く組織や、何かの会があるとしたら、主催というものは絶対的に必要で、さらに言えば主催には、たとえてみるならば僕が誤解したように「物語を作る」というような、明確な目的があるべきではないかと思うのです。それが求心力と言い換えられるものなのかもしれません。一人でもやれるけれど、誰かが遊びに来てくれればまた違った風が吹き入れる。でも大前提として一人でも出来る。いつでも台風に変わるポテンシャルを持っている個人。

つって今ここまで書いて、時間がもうそろそろ4時なのでちょっと眠たくなってしまったけれど、要は「集団でなきゃできないこと」というものを僕はあまり認知してないのかもしれません。うー。明日も仕事なので、一旦投稿して寝ます。
大体言いたいことは言えたと思うのだけれど、また読み直して後日書くやも知れません。

あとアレです。忘れないように一つ言っておこうと思うのだけれど、消滅寸前の若竹の会の頃、気付いてあげられなくてごめんなさいね。主催が休みがちになっていたのを見て、単純に忙しいのか、それかダルセニアンに飽きてしまったのかと思っていたのよ。そして、何度か物語の続きがない会が重なり、なんとはなしに足が遠のいてしまったのよ。うー。お客さんでごめんなさいでした。