幹事と鍋奉行

相変わらず市長は端的な例えを出すなあ、と感心することしきり。
そうですね。
判りやすくいうと、鍋を自分の好きなように出来る鍋奉行の座を勝ち取るために、実務である幹事をするような感覚が僕のアレに一番近いです。
幹事もせずに鍋奉行だけやろうとするのは確かに不届きで、メンバーがみんなそんな感じだったら幹事は嫌になって当然だけれども、そうではないのが理想の組織ではないかなあ、などと思うのです。
「鍋食べたい!みんなで一緒に食べると旨いよね!」という思いから幹事をするのは決して苦痛ではない筈だということを言いたかったのです。それこそ、自分ひとりでもいけるわけだし。

>多津丘さん
劇的な変化…!去年の夏ごろ…!突っ込んでよいのか判らない!ともあれ楽しみに待ちます。人の心境変化は興味深いなあ。

>yu2さん
鍋奉行は幹事とイコールではないんですが、長く続けるためにはそこが限りなくイコールになるといいのかなあ、とか思います。幹事業か鍋奉行が、どちらにせよ、自分のしていることがただの作業としか感じられなくなると心って磨り減るのかしらね。

鍋奉行を好きな人はいるし、幹事するのが好きな人もいるし、見極めるのは難しいわね。