それでも世界を回す理由。

水滸伝を読みながら、ふらふらとわが身を振り返って考えております。
志というものを、人と共有しない人生を送ってまいりました。というか、人と共有できる時点でそれは志ではないのではないかと思っておりました。
だから、同じ思いを胸に相棒と呼び合って二人一組で動ける人々に憧れ、仲間と呼びあうことに躊躇いのない人々の集まりに憧れて生きてまいりました。
人と人が繋がるのはなぜか、ということを最近よく考えています。
たとえば、今まで僕が親しくさせてもらった人々とは、主に創作や、それに類したもので繋がっていたように思います。立場や考えは違っても、書いている、作っている、という人々が僕は今でも好きです。これは多分、志を同じにしているというのとは違うけれど、人と繋がる腕であったように思います。
では、今、黙ったまま動かない僕とその人々との繋がりは消えてしまうものなのか、ということを考えています。こんなことを思うのはなぜだろう、ということを考えるんですが、うまくいえません。
たぶん僕自身が、創作というものが抜けてしまった僕を、以前の僕と違うように感じているのが大きいと思うのです。
僕はかつて、創作だけをしていれば満足でした。ですが、創作だけを求めていたことが原因で、友達を失ったり、人間関係を壊してしまったりしたことで、どこか、それに恐怖しているのかもしれません。

悩むのですが、勿論結論は出ません。
ただ日々、本を読み、静かに暮らすばかりなのです。