理子ちゃんのこと

理子ちゃんという友達がいます。もちろん仮名で本名は違うのですが、話を聞くと多分、当時一緒に遊んでいた僕の友達は、ああ、あの子だなあ、と判ると思います。
生身で「バイクを」跳ね飛ばしたあの理子ちゃんです。

理子ちゃんは前述のエピソードに似合わず華奢な体つきの子で、たぶん多くの人が、あの子ってちょっとアレなのかしらん、と思うタイプの女の子でした。かわいいけれどもちょっとアレ。歩道すれすれを爆走してきたバイクを跳ね飛ばしたあの事件についても、確かに並の神経をしていたらとてもじゃないけれど出来ないと思わせるに十分です。なんていったって、走ってくる暴走バイクの車輪に偶然の要素が強いとはいえ傘かませたわけですから。勇気あるというか、なんというか。
ともあれバイクの話じゃありません。理子ちゃんの話です。

理子ちゃんは絵が下手だ、とつい最近まで僕は思っていました。何も見ないでドラえもんを描く、という遊びのときの、壊滅的なドラえもんの絵。線のふにゃふにゃした具合がまさに「幼児の描く絵」みたいで、これは一種の才能だ、と皆で大笑いしたのを覚えています。その時、理子ちゃんは「お姉ちゃんが昔描いてくれたの、こうだったんよ」と言ってちょっと憤慨していた様子でした。

久しぶりに再会した理子ちゃんとその話になりました。再会自体ももう、5年ぶりになるでしょうか。今、理子ちゃんは西友でレジのバイトをしているそうです。一度、経理の仕事をしたらしいのですが、人間関係で辞めちゃった、とやっぱり少しアレなのかな、と思わせる笑顔で理子ちゃんは笑いました。
ドラえもんを描いた話を忘れていたわけではないようです。その時に誰がどんなことを言ったの、なんのと、思い出しながら少し悔しそうな顔をしました。
「でも高橋ちゃんってばあの時は芸術的だって言ってたじゃない」
「多分、頭に『ある意味』ってつけたと思うよ」
「なによ」

その後、絵は上手くなった?と聞いた僕に、理子ちゃんはきょとんとした顔をしました。だからドラえもん、上手く書けるようになった?理子ちゃんは首を振りました。そして、だからお姉ちゃんが書いてくれたのと同じなの、と強情そうな顔になるのです。
じゃあ、あの絵をもう一回描いてみてよ、と少しだけ意地悪な気持ちになって僕は紙をペンを渡しました。理子ちゃんの絵が何か、異次元的な進化を遂げていればそれはそれで面白い、という期待があったのです。
ですが、書きあがった絵は、十年前の絵とそっくりでした。相変わらずへたっぴだなあ、とひとしきり笑っていたのですが、どうにも引っ掛かるところがあることに気付きました。

幼児が書いた絵なんです。線のところどころの震えや曲がり方など、もう、明らかに幼児の書いた絵に似せようとしているような感じなんです。でも、理子ちゃん、字は別に下手じゃない。むしろ上手いといってもいいくらいです。
こんな字を書ける理子ちゃんが、なんで絵を描くときだけ震えるんだろう?
(続く)