金八続き。

昨日から引き続き考えている例のお金の問題。
あの中で明らかに正しい意見であった「お金持ちは幸せです」というトピック。なぜ金八先生はアレをもっと掘り下げなかったのか考えております。「お金持ちは幸せです、なぜなら、お金のことを考えなくてよいから」。これは本当に真実だと考えます。
お金を考えなくてよい立場というのは、「お金持ち」以外になにかないかな。
というのを考えてゆくと、物欲のない状態=解脱とかでしょうか。解脱はTBS的にやっぱりやばいのか。

ともあれ、まあ、幸福は心の持ちようであるというのが通説ではあります。
物欲というものが存在することを否定せずに考えると、もっともベストなのは「自分で自分の好きなものを作れる」ということです。そこに生活という視点を加えると「自分で自分の好きなものを十分作れる状態にあり、余ったそれを分け与えることで生活の糧を得ることができる」というのがベストのように思います。
しかしこれは往々にして実現せず、生活の糧を得ると自分の好きなものを作る、というのは分けられてしまうように思います。どちらもリソースに「活動時間」と「金銭」をとっています。限られた活動時間で生活の糧を稼ぎ、なおかつ自分の好きなものを作らなければなりません。また、その一部は金銭に代替可能ですが、やはり生活と自分の好きなこと、リソースを割くバランスに腐心しなければなりません。
このバランスを取れないのは確かに不幸なんですが、そのために必要なものこそ、教えてやるべきものではないかと思います。
それがすなわち「自分の好きなものを知る」ということであります。自分が何を求めているのか判らない人が、世には多いように思います。生活の糧はある程度のぶれはありますが、考えずともよく、自分の求めているものが判らなければある程度人に選択を委ねても構わない話です。なんとなく就職し、なんとなく生活してもそれで悪いことは何もありません。「お任せ定食」的な生き方ですが、日々の生活に重点を置かないのであればそれで構わないと思います。
「自分の好きなこと」は人に選択をゆだねるわけにはいきません。他人である僕らが、かわりにそれを見つけてやることは出来ませんが、「見つけ方」だけは教えることも出来るはず。
何を言おうとしたのか判らなくなりましたが、自分の好きなものくらいは自分で把握してゆきたいものですね。それがあれば別にお金はそんなに頓着しなくても構わなくなるくらいには。