遊びの能動性

遊んでしまって約束を破る、酒に溺れてすべきことをこなせない、急病で倒れて入院する。
これらは、本当は同じ事柄なのだけど不当に区別されている気がしてなりません。
遊ぶのだけは、ほかのものにまして許されていない気がします。たぶん、自分の意思でやめられると認識されているのだと思います。
でも実際はそうじゃないよねえ、ちゅ話。意思で遊びを止めるのは40度で這って会社来るのと本質的には同じ、ちゅ話。
誰もが当たり前にこなせることではないような気がします。自助努力で何とか出来るっていうなら、風邪だって防ごうとすれば防げないわけじゃないし。

たぶん、病に限らず凡てが不可避といえば不可避なんだとおもいます。火に寄る虫みたいに。
厳密にいえば、何が起きても「別の何かを疎かにした免罪」にはならないわけで、で、あれば何かを論外に置くこともまた同じではないかと思うのです。
まとまりませんが具体的に言うと、「風邪でダメでしたゴメン」を許容するなら「約束より遊びを優先」というのも責めてはいかんなあと思ったんですね。逆もまた然り。
遊びを責めるなら風邪だって責めなきゃフェアじゃないよなあ。とか。

厳密に公平たろうと考えると、全部肯定するか全部否定するかしかないわけで、で、あればやっぱり全部肯定してゆこうと思う次第。
特例を許すなら、すべて許してしまえばいいじゃんけ。

幾つかの逆鱗だけを持ち、それに触れられなければ腹を立てない。そんな風に生きてゆければ幸福だろうなあと思う昼下がり。