勝てる殺し合いと自己の深淵。

城内で私闘を持ち掛けることを一切禁じ、違反者は騎士団が一律処断という城に暮らしているとして、不意に挑戦状を叩きつけられ、やんわりと「それまずいんじゃないの?騎士来るよ?呼ぶよ?」と返事したところ、ああだこうだ理屈をつけて「だから僕だけは良いのださあかかってこい!」って言われた時の気持ち。
あれ?
なんか前もあったな。こんなこと。
ともあれ私事ですが、今度は不動産屋と揉めてます。

そういう場合に湧く「くらい衝動」について考えております。
世にも珍しい口を利けるゴキブリに身の程を思い知らせてやるべきなのはもっともなんですが、そりゃあスリッパで叩けば十分であって、無駄に罠はって逃げ場塞いで火炎放射機で焼灼する必要はどっこにもない訳です。
でも、あえてそういう目に遭わせてやりたくなる衝動。これは非常にくらい衝動と言わざるをえません。

完璧に言い逃れ出来ない状態まで持っていって証拠揃えてから然るべきところに連絡してやろうか、という衝動と、その手間が無駄だから早めに弁護士立てて実のある解決に向かった方が得じゃね?という理性がせめぎあってます。

いまいっこ思うのは、この「勝てる殺し合い」をより完璧なものにしようとする熱情は、正しい闘争心とは違うような気がするということです。
降りかかる火の粉は払い、可能ならば元を断つのも大事なことですが、その行為の正当性を嵩にきてオーバーキルのハイスコアを計算し始めるのは違うような気がします。
なんか、くらい。その衝動は何処にも向かわず、人間の内側を浸食してゆく気がします。よ。
この、くらい衝動とどう付き合うかというのが、自分の深淵を見ながら生きるということなんじゃないかと思います。