文学とはなんぞや。

日々ほとほと考えていたことですが、なんとなく結論めいたものにたどり着いたので覚書。
文学とは何ぞや、何を目的とし、何処へ向かうのか、という問いは、「文学」を「空手」に置き換えると分かりやすい気がしました。

空手とは何ぞや、何を目的とし、何処へ向かうのか。

はてさて。
空手の本質を問うには、まずは徒手空拳の技が産み出された一番最初にさかのぼることが必要です。
源流を明確にして、いかなるベクトルの思想の果てに現在があるのかを推察し、これから向かう先を明らかにしなければなりません。
空手の源流とはなんであるかと問われると、答えはひとつしかありません。
エネルギーロスを減らして効果的に力を振るいたい。
これが一番最初にあった衝動です。ボクシング、レスリング、荷運びのコツ、石切、拷問術などなど、外部環境に物理干渉する術はすべて、その衝動から生まれたものだといえます。
人間や日本猿チンパンジーやゴリラに分化する前の「何にでも進化できる猿」がいて、そこからそれぞれの方法論に従って進化してそれぞれの種族になったように、格闘技に関してもまず「外部環境に干渉する力学効率術のイデア」があって、その実現のために、それぞれ明確な目的と指向意識を持って特化したのが「空手」であり「レスリング」であると思ってください。
つまり、空手の本質は、「力学効率術」に端を発し、武器に頼るのは男らしくないとか戦いが始まるときにいつも武器があると思うなとかそういった理由から「素手で戦って勝つ」という目的に向かって進化してきたものである、と見ることができるわけであります。
つまり、この後空手が空手足りうるかという問いは「義手義足を前提とした格闘術は空手と呼べるか」など、サイボーグバトルの時代になっても空手は空手といえるのか、みたいな銃夢的展開を見せるのではないかと推測されるわけです。
まかり間違っても、空手着や帯がピンクなのは空手といえるのか、というのは議論になりえないわけです。というか、それはまた空手の本質とは関係ない話であり、護身の必要に迫られて空手を使う人からは大きく乖離した話なわけです。使う人にしてみれば、本当にどうでもいいこと、なのであります。

さて。
これを踏まえてようやく文学について、です。
思うに、文学や音楽など、あらゆる芸術の根源の衝動は「感動を生みたい」ということではないかと思います。
「心がふるえる」というその情動を湧きおこすために、音楽や絵画はマテリアルそのものに力をこめました。一方物語は、形にあまり頼らず、イデアそのものを直接描き出すために言葉を使いました。
音楽や絵画は、マテリアルを介在した先に感動が存在すると考える方式です。これらは、受け取り手に準拠するものが少なく、ほぼ均一の感覚情報を人に届けます。受け取る感動に多寡はありますが、感覚器から受け取る情報自体にはほとんど差がありません。
一方物語は、(誤解を招かずに言うと)テレパシーがあればそれを使っても構わないと考える方式です。これらは、受け取り手に準拠するものが非常に多く、感覚器から受け取る情報ではなく、情報の内容それ自体が感動であるという方式です。
しかし、この二つは、単純に方法論の違いで分類されているに過ぎません。
武器持って戦うか、素手で戦うか、みたいなものです。じゃあ生まれつき腕が斧になってるアイツはどっちなの、みたいな状況は日々生まれてくるはずなのです。

それを踏まえて、です。
僕個人としては、「文学はバカに伝わらなくてもいい」という意見は半分賛成で、半分反対であります。
「わが流派は熊さえ殺せればいい。羊や犬や、近所のオッサンにさえ手も足も出ないが熊だけ殺せればいい」という格闘技のようなものです。それ自体は存在してもいいし、そういう格闘技があるなら、潔くてちょっと素敵です。熊以外が戦う相手ではないなら諸手を挙げて賛成です。
でも、「熊も倒せるし羊や犬や近所のオッサンも倒せる格闘技」があるなら、そっちの方がそりゃ強いです。

文学においていえば、わからないやつはわからなくて構わない、というのはいまだ「発信」ではないものだと思います。それは受け手の受信アンテナに頼っているわけで、物語自体に力があるのかどうかは極めて疑問だと思います。

これは僕も以前、人に言われたことがあって心に残っているのですが、自分の書いた物語の魅力がたくさんの人を掴んだのか、それともそういう類の物語を好む人だけに見せたからよい感想が返ってきたのかは、よく考えなきゃならない問題だと思います。より強く、より沢山の人の心に触れたいと思うならば、です。
もっとも、人の顔を思い浮かべ、この人の心をふるわせられたならそれでいい、と思いながら書かれた物語がその目的を果たすのがもっとも幸福な形だと思います。
それで、できるなら、その余力で世の中の沢山の人の心もついでにふるわせてあげられれば、それはそれで、いいことですよね。