パルプフィクション

いやなことばっかありまして、ほんとうにくさくさするのでバイオレンスににげるわけです。
あんまり暑いので漢字すら書けなくなるという。

ともあれ憂さなどの話を枕に話すれば、つまりは、人間の変容についてなのであります。僕もいい年齢になりまして、つくづく、一貫性というものは大事だなあと感じることが多くなりました。
これまで、健全に生きるためにはルールが必要だろうという理由から「一貫する」ということを掲げてきました。端的にいうと、客を見て値段を変えない、というのが僕の唯一のルールです。
失礼なことを言われてシバくのであれば、同じことを言われたならば、会社の上司や親兄弟、セガールや三沢、はては弱り切った年寄りが相手だろうとひとしく渾身の力で振り抜くビンタをくらわすものなのです。相手によって加減したり、矛を納めてしまえるなら、それは、犬畜生相手であってもひとしく納めるべきなのです。

でもって今回。
ある案件について、適当に嘘ついてへらへらしててくられば、私が得するし、あなたにも損はないんだから、自分のルールなんて曲げて小ズルく上手に生きなさいよ(意訳)というようなことを諭された訳ですね。

あのね。

このわたくし、確かに自分の楽しみのために嘘をつくことは多いが、誰かの実利のために嘘をついたことは臍の緒切って以来、一度もねえのだ!
嘘はつくが欺かない、つうのが矜恃だベラボーめ。ついでにいえば、人に言われて嘘つくようなやつはホラ吹きですらねえのだ。そんな申し出を甘んじて受ける実利主義者はホラ貝じゃなくて太鼓でも抱えてゴマでも摺っていりゃいいんである。

というわけで。
こちとら天狗やらせて頂いている身ゆえ、身の程も弁えない畜生眷属の申し出なぞは丁重にお断り申し上げます、というようやお返事をしたらまあ、揉めました揉めました。当たり前ですが。

本来、キャラとしてはこういう方向ではなく、むしろこういう感じの脆弱さがアレだった気もするんですが、はあ、やっちゃったものは仕方ない。

なんつって過ごしていたらその後、どういう因果か知らないが、要約すると「この間のは真意が伝わらなかったのでもう一度言います(以下同文)」というような話を再び聞かされることとなりわたくし軽くうんざり。一度でも心苦しいのにもう一度同じことを告げねばならぬこのげんなり。重ねて、この変容してしまった人が、かつては尊敬できるメンタリティの持ち主だった事が拍車なんです。
なんで人は、こんな風に変わってしまうんでしょうね。こんなに、驚くほどがらりと変わってしまうならば、もう一度、がらりと変わることも出来るんでしょうか。
変容を是とせども、変容それ自体は目的ではないはずなのだ。お酒止められてるので、グラスの氷に水だけ注いでそんなことを呟くわたくし。

そんな重たさに耐えかねて、パルプフィクションを流しました。序盤のLジャクソンが言う「このハンバーガー食っていいか?」に始まるやりとりとか、もうすごくすんげー癒される訳です。
ああ、わたくしの理想とする「自分の言いたいことだけ言う」世界がここにはある…!聞いてもらえるまで言うのではなく、言いたいから言う、暴力と境のない言葉が、言葉と境のない暴力がここにはある…!
なんつってクスクス笑ながら見ていたら、人生最後のトイレから出てきたトラボルタのシーンで家人の顔色が悪くなり、アメリカ人の地下室こわいシーンの冒頭ですでに半泣き、奥の扉が閉まった瞬間に脱落してしまいました。

この映画、最後のダイナーのシーンの次にこの地下室が一番いいのにな。間違った人間愛というか、間違ってるんだけど間違ってない人間愛というか。とにかく、いいシーンなんだけどな。