師匠に支障して死傷。

最近のわたくし。
ぱったりと思い悩み、酒など飲み暮らすの巻。
お前悩んでないときあんのか、という声もきこえますが、基本的にはないです。
そんなわけで悩んで煮詰まって嫌になって、ゾンビなぎ倒したり四つ集めると消えるブロックかさねたりしてます。最近はPSPヴァルキリープロファイルやってます。これ、相変わらずスンゲー面白いですね。
主人公であるヴァルキリーは死者の魂をすくって仲間にするので、仲間になる登場人物は全員、ど頭で必ず非業の死を遂げてるんですが、この物語構成を考えた人は天才か少しオカシイ人だと思います。エヴァンゲリオンの、暗転すると入院してるオチ「またこの天井か」の繰り返しを考えた人と一位タイ。

ともあれ。
悩んでるのは人の指導をするということについて。
わたくし、芸事のお師匠についた事がありませんので、「僕の考える理想の師匠」を演じるつもりでやってるんですが、残念。僕は芸事に関しては立川の聖人レベルのドエムだってことを忘れてたよ!
敬愛する歌丸師匠の至言である「芸事の指導は、悪い所を徹底的に直すこと。いい所は他人が伸ばそうとしなくてもきちんと伸びる(意訳)」を胸に抱いていたら失敗した!
端的にいうと、あまりにリアルすぎて茶化して書かずには居られないほど深刻に、そろそろ耐えられないって意味のことを言われたぜ!チキショウ!

例え話にしますと、会社で一人だけポルトガル語が出来るわたくし。見所のある若者や、きちんと理解をしなければ仕事に支障の出る若者に対してポルトガル語指導を請われてしております。
その際、とりあえず作文をやらせて、横で見ながら文法やスペリングの間違いを「見逃さずに訂正する」という指導をしてたんですが、それが原因でどうも自信をゼロ付近まで失わせてしまったようなのです。
質問に対しても、「一度自分で考えて、仮定でいいから答をつくってから質問なさい」という態度で一貫しているのですが、どうも判らないことを責められていると受け取ってしまう様子。考えなければ、覚えませぬのですよ。
もっとも、判らないところが判らない、と言ってくれてもいいんだけど。うーん。そこまで手取り足取り教えてやると、スポイルしてしまう気もするのよね。などと考えてビシビシやっていたんですが。
とにかく、俺ぁダメだ何やっても叱られるどうしようひええ、という状態なんだとのこと。
うーん。

そしてさらに、まの悪いことに。
受け答えに人を見る方のわたくし。
どうでもいい相手からのどうでもいいポルトガル語の質問に対して、言ってもアナタどうせきちんと理解する気はないんでしょ、という観点から特に出し惜しみもせず、その都度答えているのですが、それを横で見ていると「他の人にはずいぶん親切だ…!」と感じてしまうとのことなのです。
でも、僕がその人に教えているのは「間違ってるけど伝わるし、一度聞けば九官鳥でも覚えられるけど他の場面では絶対に使えない言い回し」というような普遍性のない答なので、ある程度ポルトガル語ができるようになれば即座に、あ、この人その場を凌ぐだけの手抜きの教え方をしたな、と理解できるはずなんですが、言われてみると、まだポルトガル語の達者ではない状態では、そういう風に感じてしまうのも無理ないかなあとは思うんです。まったくまがわるいったらありゃしない。
だからさてさて、どうしたものか。
なんか、たとえ話とはいえポルトガル語ポルトガル語言ってて頭がポルトガルしてきました。
結論はでないんですが、うーん。

この子は遺伝子レベルでポルトガル語は向いてない、というのを前提にして教えていくのがいいのかも知れません。
教えたいことと知りたいことが違うというのは、少し寂しい気もするけれど、生きている以上仕方のないことなのかしらね。