家系のこと。

僕の育った家は、少し特殊な家庭だったらしい。
祖母の代ですでに4代目、いわゆる少し古い家だ。変わっているのはここが女しか生まれない家だということだ。それが何故なのかなんて勿論僕にはわからない。だけど、祖父も、その父も、そして勿論僕の父も入り婿だった。
けれど、僕の父母は祖母の家から独立して住んでいたので、あまり父が入り婿だということは感じずに育った。父は比較的威張って過ごすタイプの人だったし、母も控えめな人だった。漫画なんかで見るみたいに、「新聞」「はい」「お茶」「はい」のような家庭だった。
結婚で父の苗字が変わったというのは珍しいことなんだと知ったのは小学校にあがって随分してからだ。男と女は半分半分なのだから、苗字が変わるのも同じくらいの確率だろうと、ずっと思っていた。

女しか生まれないという伝説には、旧家につきものの、いわゆる呪いだのなんだのという伝承もあるのだけれど、聞くたびにディテールが変化するような、いわゆる与太話に近いものだと思う。
それと同じような類ではあるのだが、祖母が山で「御使い」を見た話を聞いて過ごした。オツカイというのは、なんでも神様のしもべのようなものなのだという。真っ白な蛇だとか、真っ白な鹿だとか。とにかく白いのだという。祖母が娘の頃、御使いを見たという裏の山は宅地造成が進んでしまって今や深い森なんてものは殆ど残っていない。
娘っこ産んでから御使いに言われんくてはこの家は継げんのよ、と祖母は言っていた。あんたは無理して継げんくていいのよ、と祖母はいつも僕の頭を撫でた。

母は、どういうわけか自分の母である祖母をひどく嫌っていて、決してあの家に泊まろうとはしなかった。
僕が初めて一人であの家に泊まったのはいつのことだったろうか。
小学校に上がってすぐだったような気がする。電車に乗ってずいぶんかかった記憶が残っている。小学校中学年まではまだ川崎の方に住んでいたので、乗り継ぎが少し複雑だったはずだ。
向こうの最寄駅までは祖父母が迎えに来てくれたのは記憶にあるが、そこに両親がいた記憶はない。僕は一人だった。
東京に引っ越してからは毎回、一人で電車に乗って、駅からのバスも一人で乗っていたはずだ。どの時点からか判らないが、はっきり覚えている。
人にこの話をすると大概、変な帰省、と指摘されるが、僕にとってはそれが当たり前の行事だった。夏休みは一人でおばあちゃんの家に。それが当たり前だった。

いつのことだったろう。祖母から聞いた御使いの話が面白かったので母に話したことがある。わたしの御使いはなんだろうね、と気軽に聞いたのだ。
聞くなり母は、ものすごい剣幕で僕を叱り飛ばし、すぐに祖母に電話をかけて長いこと喧嘩をしていた。変なことを吹き込むようなら二度と会わせないから、と母は電話越しの祖母に大きな声を出していた。はっきりと覚えているその情景の、電話機の場所から推測するとそれは川崎の家に住んでいた頃から僕はまだ10歳になっていなかったはずだ。それは恐ろしい剣幕だった。
しかしそれで、子供心に、母に御使いの話をしてはいけないのだということを知った。祖母から聞いた話は、自分の中に貯めておこう、と思った。
しかし、今にして面白いと思うのは祖母だ。それだけの剣幕で怒られたにも関わらず、祖母は僕に昔の話をするのをやめなかった。あるいは、暫くの間は控えたのだろうか。記憶がハッキリしていないが、いずれにせよ、僕は中学生の頃にはすでに、祖母からは御使いの話や親族ののいざこざの歴史、祖母の若い頃の話なんかを知るようになっていた。勿論、それを聞いたことも、聞いた内容も、今まで誰にも離したことはない。

とにかく僕の生まれた家は、女しか生まれない家だった。
話の整合性が合わないことに気付いた人もいるだろうから、告白しておく。
かくいう僕も、実は女だ。こうしてweb上では簡単に性別を偽れるので「僕」を使っているが、そういう訳だ。自己紹介の欄を見てもらえればはっきりと書いてあるが、これまでも冗談だと思う人とそうでない人が半々だったし、それで良かった。今、あえて公表するのは、少し自分の家系について書きのこしておきたいからだ。
僕は女しか生まれない家に生まれたが、それを恨みに思った覚えはない。母は御使いを見ていないのだという。だから、あの家の家長はまだ、祖母のままだ。祖母は今年、85歳になるが健在でいる。
でもいいんだよ、といつか祖母は僕に言った。この家はわっしの代でおしまいにしていいんだ、と僕に言った。

そして、ご存知のように僕は去年の末に結婚をした。
何の因果か判らないが、僕も、苗字が変わらないタイプの結婚だ。ああいってはいたものの、祖母はもう少し口を出すかなと思ってはいたが、苗字におそろしくこだわったのは意外にも母だった。一時は、母のせいで駄目になるかなとさえ思うほどの猛烈な横槍だったが、結婚相手は(少々度が過ぎるほど)物事に頓着しない人で、不思議とするすると話は進みなんとか結婚する運びとなった。

そして今、僕は妊娠している。

おなかの子の性別はまだ判らないが、女の子のような予感はする。
最近悩んでいるのは母のことだ。母は、頻繁に僕の家を訪れるようになった。そして、「御使い」の話をしきりにするようになった。
それが少し怖い。
母は言う。もしも変なものを見たからって、あなたがあの家を継がなくてもいいのよ。あなたはおばあちゃんに変なことを吹き込まれすぎたせいで少しおかしくなっているのよ。わたしはずっと、御使いはまだか、御使いはまだかって言われながら育ったわ。だけど、あなたはそんなものに縛られなくたっていいの。今は、平成の世の中なのよ。おばあちゃんが何を言ったか判らないけれど、御使いなんてものはあなたが考えているようないいものじゃないの。もっと重たくて、暗くて、嫌なものなのよ。あなたは、家のために生まれたんじゃないの、わたしとは違うのよ!

それまで、祖母の話題に触れることすら嫌がっていた母が、口を開くと祖母の話ばかりになっている。それが少し怖い。母は、本当に御使いを見たことがないのだろうか。それとも、本当は何か、見たことがあるのだろうか?
問いただすといつも母は否定する。見たことなんてあるわけないじゃないの。ばかばかしい。非科学的にも程があるわよ。
だからいつもそこで話は終わる。
本心を言えば、僕の御使いは一体何なのか、ひどく興味がある。
娘っこ産んでから御使いに言われんくてはこの家は継げんのよ、と祖母は言った。しかし祖母は、何を言われるのかは話さなかった。僕も聞かなかった。しかし、猛烈に興味があるのだ。

その話になって何度目だろう。
僕のその気持ちに母は気付いているのかもしれない。
昨日、母は言った。
おばあちゃんはわたしに期待なんてしてなかった。わたしは、あなたを生むための道具だったのよ。わたしには、何もなかったのよ。
自分でも言うつもりでなかったのかもしれない。母は、はっと口をつぐんで、何か聞き取れない言い訳を残して帰ってしまったのだが、それが昨日からずっと胸に引っ掛かっている。
あの時の母の目には、わたしを心配する気持ちだけでない何かが、潜んでいた。

望めば来月の検診でこの子が男か女か、聞くことが出来る。
どうしよう。
今も少し、わたしは悩んでいる。