ファッションニヒリストめ。

人間は死ねば無に還るだけ。死後の世界は存在しないし、葬式は残された者たちの自己満足。
そんな論調を掲げているのに「自分の葬式は何もしないで散骨してくれればいい」と発言するのは如何なものかしら。
ニヒリストなら、自分が無に還った後のことを心配する義理はなく、残された者たちの自己満足を窘めるのも余計なお世話。
言わなきゃいいのにファッションニヒリスト。

そんなことをつらつら思いながら、実祖父のお弔いをしておりました。

先週半ば。
ねえ息しなきゃダメよ、と揺すられて祖父は、二度、すう、すう、と息を吸い、それっきりでした。

今にして思うのは、この世とあの世の境目は思ったよりも濃いようだ、という当たり前のことです。だけど、境目は濃いけれども、それ以上に「生きていること」「生きていたこと」も強固です。
火が消えても煙が残る。煙が消えてもにおいが残る。
痕跡、欠片づつたくさんの人のうちに残して僕らは生きて、そして死んでゆくのです。
逆に言えば、残った欠片は、それを残した人が生きていても死んでしまってもお構いなく、僕らのうちにあるのです。
この世の全て、自分が映った写真さえ全て捨てるまでは、繋がりが消えることはなく、あなたを愛している人がいる限り、あなたは本当の意味で死ぬことなんてないのです。

死ねば無に還るだなんて、確かにとてもシンプルで、やるせないくらいに美しい台詞だけれど、本当にその台詞を呟けるのは相当な覚悟や孤独の先の先。

今日は今日。
できる事を、できるように。