うーん。

何って正論でやりこめる話なんですが、うーん。
僕、最初のエピソードだけで話は終わってていいと思うのです。これが「正しい行為かどうか」というその後の議論が、うーん。なんかもにょもにょするのですね。
いろんな考え方の人がいるのねー、というので済ませるにはちょっとアレな考え方の人も多くて、うーん。例えば100%愚かしい行為、って根拠がよくわからないです。100%ねえ。ねえ。

僕の考え方を明確にしておくと、息子ちゃんの正論は正論だけど、一撃で先生をズタボロにするまでの威力はないので、あえてその場で言うべきではなかったのかなあ、などと思います。もともとかもしれないけど周りの泣いてる子達もべつに彼の味方ではない状況なので、孤独な正論、という感じ。これって、論破してやったというより、ただ追い詰めてられてるだけじゃないかと思うのです。これは攻撃じゃなくて、身を守ってるだけだよ。
親さえも助けてくれずに公衆の面前でネチネチいびられて、彼は、こうやって孤独な正論を吐くか、心を汚して嘘の涙や謝罪をするかの二択を迫られるまで追い詰められてんじゃん、と思うのです。
子供にこういうことを言わせてしまう大人が一番アレだ、というお話。投稿者も先生も似たようなものです。あなたたちが、言わせたのだ。と思うのです。

清廉としたものはある程度孤独であるものなので、仕方ないといえばそれまでですが、親にまで「先生にそんな口のききかたするなんて」とか言われちゃうのは、こう、孤独が深まるだけだよなあと思います。
お父さんかお母さんか判らないけど、投稿者だけは彼の気持ちを解って、共感してやるべきだったんじゃねえの。と思うのです。
「うぜっ」という言葉の裏には「じゃあどうしてればよかったとおもう?」という問いが隠れてるとは思いませんか。そして、そう問いかけられたらあなたはなんと答えるつもりでしたか。追い詰められやしませんか。息子ちゃんは、あなたを追い詰めても楽しくもなんともないからそうやって聞かずに話を切り上げようとしたんじゃありませんか。
などと考えると、まったく息子ちゃんの孤独を想像して悲しくなります。

それにしてもまー、追い詰められての反撃だったので粗があるのは仕方ありませんが、僕らが教えてやれるのは「刺すのは一度だけ。深く、そして徹底的に」という一つのメソッド。その時がくるまでは我慢も必要です。という戦略くらいのものです。

例えば、先生がもっと目上の校長先生だの来賓だのを引き摺り出して「ねっ、ほらっ、この子がふてぶてしいんですよぉ一言ガツンと言ってやってくださいよぉ」だのと始めた時にぶち込んでいくのが、それなりの破壊力もあっていいような気もするけど、多分、この先生はこうやって言われたことを「なかったこと」にしちゃうと思います。だから、こう、もったいないなあ、などと思います。
憎まれるだけの結果しか産まないというのは、確かに、こう、やるせねえなあ、と。

どちらにせよ、刺す準備も逃げる準備も整わぬまま吊るし上げられることになった迂闊さや、苦し紛れに撃った反論に手加減をくわえなかった余裕のなさ、その癖どうせ刺すならあと一歩深く刺さなかった覚悟のブレを諭したりはすると思いますが、そもそもがこんな、状況になってしまったら仕方ないことなので、基本的にはただ慰めます。

まー、この場合の模範回答は「僕だって悔しいんです。すごく悔しいんです。でも、泣かなきゃ悔しいと認めてもらえませんか?」つって問い詰めながらどこかで感極まった風に嘘泣き。
じゃないかしらね。
コピペにマジレス?そう?いつだって僕はマジレス。知らないよウフフ。