快適化

比較的情緒が安定してるのが僕の売りだと思っているこの頃です。何があってもあまり腹立たないんだよなー。少し悲しい気持ちになったりはするけど、それでも生きていくしかないもんなー。
やはり、殺さずにいられるなら赦せるということだ、という格言が僕の人間強度を上げてます。使えるこの格言。裏返すと赦せなくなったら殺すしかないという理屈になってしまいますが、そこに目をつぶればとっても生きやすいです。

そして人間強度の話をするならば、例の広島の、

ころしたるわいゆうてゆうたらわかったころしにこいやゆうけえころしたった

で、お馴染みの元同級生殺人事件。でんでらりゅうばか。とととっとっとか。
などと冗談をいうべきでないのも分かりますがこの平仮名文章の破壊力たるや。
しかもただの絞殺でなく、絞めたあと念の為首の骨折って投げて捨てたて。
行住坐臥で殺したり殺されたりという死地に居なければこんな文言は生み出せないような気もしますが、話し言葉を完璧な読み下し文として記述すると、こういう境地に達するのかな。おそろしいな。

ともあれ、2ちゃんねるを潰すべきだと声高に叫ぶ人々がなぜLINEや未成年のコミュニケーションツールの撲滅を題目に加えないのかという問題を、当サイトでは「バールと粘着テープが取り締まられない問題」と呼称していますが、弾圧してる人の心中ってのは、今回の殺人と同じなんだろうなあと思います。

よく、バカの好例、というと前の職場の上司を思い出します。本当にバカのサンプルケースのデパートみたいな人でした。
必要でないことをする必要があるの?と問いかけながら、禁止する必要のないことを禁止するという。あらゆる部分が見事な自己矛盾とですが「必要なことは必要だから必要なのだ」というトートロジーに何の疑問を抱かない類の方には筋の通った記述に思えるようです。
誤解を受ける言い方ですが、自分を賢いと思ってらっしゃるうすらバカの方に、非常に多くみられる考え方だと思います。

本当は、事態が不可逆になるかどうかを判断基準に加えるだけで解決する問題なのです。
必要でないことを許容して必要なことが完遂できなくなるならそれは「必要でないから」ではなく「必要なことに有害だから」禁止すべきことにカテゴライズされます。どちらでもよいことは、別に、禁止する必要もないことなのです。
人を殺すというのはctrl+Zが効かない、一般的に不可逆な行為な訳ですから、まあ、迷ったらやめておくのが無難ですよね。
どうしても許せなかったから殺すのではなく、許しても許さなくてもどちらでもいいけれど許す必要がなかったから殺す、というようなのはナンセンスなのです。

「殺しても殺さなくてもどっちでもいいけど、殺したら状況が不可逆になるから、まだ今は殺さないでおく」
ブレーキはただそれだけでいいと思うんだけど、どうしてバカの方々はこう無駄に行動的なのか。