会社の飲み会

僕は基本的に、「他人の金で飲む酒は旨いけれど、人格の介在しない金で飲む酒は体内で分解されにくい」という法則を信じるものですが、やはりそうよな。
誰に奢られているかはっきりしないお酒は若干の居心地の悪さがちらほらと。居心地の悪さは肝機能を低下させるって、みのが、志の輔*1
そんなこんなで日曜日はちょっとぐったりしてました。

ごちそうさまでっす!という相手がいないとどうも締まらないというか、着地点がわからない感じ。酔っ払って楽しくなるべきか、酔わずに介護に徹するべきかなど、参加者の数だけ並列に目標条件があるので、最適行動がわからないんですね。
金主がはっきりしていれば、その人の好きそうな方向に微調整するから自分も楽しくなっちゃっていいでしょ、というエクスキューズでもって酔うことへの抵抗ゲージを下げる事ができるんですが、ねえ。
どうも、ねえ。

最適解を探すとしたら、会社の飲み会は示威行動的にお酒を飲むってのがファイナルアンサーなのかなあ。
何故だかは分からないけれど、比較的つよいお酒を飲んでいると、絡まれにくいというのが日本社会。
アレですかね。強い酒を飲む人間に絡んで絡み返されると普通よりもヤバいのではないかって危機感がはたらくのかしらね。
ともあれ、人によっては酒に強いイコール人間力が高いと誤解してくれる人もいるので、飲み会も労働の一環と捉えれば、知らん顔してすいすい飲んで、礼儀正しくしてるのが一番、ってことなのかしら。絡まないからローリスク、絡まないからノーリターン。

勿論、それだとあまり楽しくはないのだけど、大人になるとすべてのお酒を楽しくすべしという哲学ではなく、意識的に「お酒を無駄にする」という選択も必要になるのかもね。
難しいワン。

*1:言ってません