哀しみ

人格や言動に問題があったり、下品だったり粗野だったりしても、その人の中に哀しみがないというわけではありません。
ことによると、その哀しみは無自覚な分だけ純度が高く、幼稚な分だけ尖っているのかもしれません。

何故ぼくを尊敬しないんだ、何故ぼくの話を聞かないんだ、何故ぼくの言う通りにしないんだ。何故、ぼくを愛さないんだ。

そんな慟哭は、かくありたしと願って止まない人にとってはきっと切実なものなのでしょう。
昔、webで同じようなことを叫び続けていた作家もいましたね。
でも、他者のリアクションを求めているうちは、いつまでたってもそれは得られないのです。
まずは自分が、誰かを尊敬し、話を聞き、何かに従い、そして愛すること。
為さぬものに為されるものは、何一つないのです。

手に入れる方法がわからないから喚く、子供のようなその人を前にして、その内にある深い渇望を感じ、そこに横たわる哀しみをこの手に取るように感じながら、僕はその人をゆっくりと拒絶します。
あなた方向性間違ってますよ、とも教えません。いつまでも、いつまでもそのまま渇望してなさい、というのが僕の結論です。

あなたを憎むわけではないけれど、報いは受けなければなりません。
放っておく、ということがあなたへの一番重たい罰です。可哀想だけど、あなたが人を人間として扱わなかったように、わたしもあなたを人間としては扱わないのです。