『到着』してしまった人たち。

よいわるいとは別の話。

最近、話を聞いていたり本を読んでたりしていて、ふと気付いてしまう違和感のようなものがあります。
それをうまく表現できないでいた頃は言葉を選ばず「何様系」などと言って反感を買っていたんですが、つまり、言外に「俺くらいになっちゃうとさー」とか「まあ、そこはもう通過した道なんだけど」とか、そういうニュアンスを含んだように見える言動をとるような、また種々の亜流を含んだ辺縁に属するひとびとについて。

先日、ふと思ったんです。この人はどこかへ「着いて」しまったんじゃないかと。それはつまり、目的地へ到達したというのとは違って、なんというか、足を止めた時点で辺りをちょっと見渡して、「アレ?わたし今いるところって実は結構たいしたところなんじゃない?」なんつって思ってそこで満足してしまうというか、一息ついてしまうというか、がさつな言い方をすれば、あぐらをかいて座り込む、というかなんというか。
かくいう僕もしばしば「いつもどおり」などと自分の書くものをカテゴライズしていたんですが、やはりどこかに立ち位置を安住させてしまっては何かよろしくない。あぐらかいたまま何か出来るのはツェペリ男爵だけ。大体、僕はまだどこにも到着してないじゃない。飢えて、渇いて書いているはずなのに、如何して安住できようものか。いやない(反語)。なんつって。なんつって。なんつって。
まあ、最近ステラデウスをようやくクリアして唖然とした経験から言うってのもあるんですが、そういう視点で見ると世間にその類の人の多いこと。
ていうかステラデウスに関しては一言で言うと「伝説の武器が12種とかはもううんざりだっ」「四大精霊の試練なんかで平成の世の中を渡っていけると思うなっ」みたいなー。長くなるのでこれはまた今度。

でも逆に、まだ「途中の人」というのも世の中にはすごいたくさんいるんですね。途中というといかにも聞こえが悪いですが、つまりは、いまだ推進中の魚雷先生、群からはぐしてなお北を目指す真雁、隠された奇跡の数式を目指す魔法使い。どんなにすごい業績を残していても、決してあぐらをかかずに、その先の何かに引っ張られるように進む人たちだって、僕の周りにはたくさんいるのです。
そういう姿を見ていると、たかが12時間労働昼休みなし(うへぇ)程度で忙殺されるわけにはいかないなあと思うことしきり。
願わくば僕もまた、誰かのやる気に火をつけられるくらいの勇敢さを。

と、この数日間、唯一空く通勤の時間を利用してこせこせ書いていたものをようやく送信です。しかし携帯で長文入力とかマジ無理ですね。やってる人尊敬する。
ああ、時間が圧倒的に足りない。はやくこういう生活からは抜け出さないと。書きたいことやものが多すぎるんだ。人生は短い。

…て、今、夭折フラグ立ったとか言った奴オモテ出ろ。