晴れた日に傘を選ぶ(2)

 僕の家で人生ゲームをしよう、という話になったのはその翌週のことだった。実は、彼女には小さい頃からほとんど友達がいない。小さい頃は、仲間はずれにされていた。そして、その後は、自分から人と交わらないようになった。僕と同じだ。彼女には、友達がいない。
「ねえ、杉里くん、銀行家はどちらがやろうか」
 彼女はニッパーで青とピンクのコマを切り取りながら、楽しげに日に透かす。
「私は小さい頃から、一度、この遊びをやってみたくてねえ」
 うっふっふ、という笑い声と、ニッパーのぱちん、ぱちんという音が響く。ゲームのルールブックから目を上げると、すでにあらかたのコマはランナーから切り離されて、床の上に並べられていた。
「あ、なんだ、全部切ることないのに」
「え、なんでよ」
「二人でするのに全部なんか使わないじゃないか」
「いいじゃないか、いいじゃないかあ」
 実に楽しそうに彼女は、二十本目のピンを切り離した。

 人生ゲームというのは、説明するまでもないが、人生ゲームである。
 ルーレットを回して、コマを進める、つまり双六だ。人生でありがちなイベントが、途中途中のコマに書いてある。例えば、満員電車で痴漢に間違われたので1500ドル払って一回休み。などなど。意外とシビアなコマなどもあって、毎年新しい版が発売されるという、思ったよりも息の長いゲームだ。今、僕らの前にあるのは、一体何年度版だろう。二人で量販店へ出かけて、なるべく新しそうなやつを買ってきたのだが詳しいことはよく判らなかった。
「いいから杉里くん、杉里くん」
 彼女が待ちきれないように僕を急かす。結局、銀行家は僕がすることになった。最初は強硬なまでに彼女が銀行家を望んだのだが、ズルしない?と尋ねた時にいきなり黙ったので僕がすることになった。銀行家はゲーム内でやりとりされるお金の管理をする。いわゆるカードゲームでいうところの「親」だ。銀行家はそれぞれのプレイヤーの手元に、銀行から活動資金を手渡す。それが開始の合図だ。
「さあ、最初に二万円くれよ、二万円」
「二万ドルだよ」
「えーと、じゃあ、換算して、やっぱり二十一万円か、ともかくちょうだいよ」
 何がやっぱり、なのか、ともかく、なのかさえもさっぱり判らないが、彼女はまるで細工物をするような慎重さで、車へピンクのピンを差し込みながら僕を促す。その姿は実に楽しそうだと僕は思った。杉里くんは男の子だから水色のピンで緑の車だ、と勝手に僕の分の車まで用意する。クリーム色のハーフパンツから伸びた足を、ひとり絡めるようにして彼女は体をゆすった。

「ち、よ、こ、れ、え、い、と、お」
 無理矢理八マスに六文字分を押し込んで彼女がコマを進める。グミチョコ遊びだ。別にチョキで勝ったわけでもないのに。
「むちゃくちゃじゃないか」
「そうでもないよ」
 僕が抗議すると、彼女はまったく気の乗らない様子の反論だ。会話が噛みあっていない。いつもなら逆に爽快になるくらいの屁理屈が炸裂するところなのに、何もその先がない。見ると彼女は、黙ったまま真剣にマス目を覗き込んでいた。
「杉里くん、困ったことになった」
 深刻な声で、少し上目遣いに僕を見る。
「何」
「私、もうゲームを続けられる自信がないよ」
「なんだよ」
「外国人窃盗団に、麗しのキャデラックを盗まれた」
 彼女の指先がマス目を指す。確かにそこには、外国人窃盗団に車を盗まれる、4000ドル払って1回休み、と書いてある。
「うん、残念だ」
「何、なんだい杉里くん、その手は」
「4000ドル」
「そんなにお金、ないよ」
「うん、じゃあ、これ」
「なに、それ」
「借用手形」
「ええーっ」
 彼女はまるで本気のような、血圧の低い悲鳴を上げた。
「たかがゲームじゃないか!」
「いや、だからゲームだからだよ」
「ひどいよ、ちくしょう、資本主義は敵だ。悪徳銀行家め」
「いいから払えよ、4000ドル」
「ううう」
 がっくりと彼女は肩を落とし、対する僕は淡々と自分の順番を進めた。

 ルーレットを回しながら、僕は彼女のことが好きなのかもしれない、と突然思う。はじめてのことではない。正直なことを言えば、時々思う。だがそれを口にしたら彼女は怒るだろう。彼女のことを、恋愛嫌い、と言ってしまうのは少し違うかも知れない。彼女は、こわくて仕方ないのだ。僕はそれを知っている。仕方ないことだとは思うが、やっぱり彼女のそれは異常だ。いち、に、さん、と数えながら僕は彼女の指先を盗み見た。数にあわせるように人差し指だけを伸ばして、こつこつと盤面を叩いている。指先が止まるのを見届けてから、止まったコマを読み上げる。
「ぺットが立った。大人気で7000ドル貰う」
「タンマ」
 彼女はすかさず噛み付いてくる。タンマって、もう、子供じゃないのに。
「ペットが立ったって何だい」
「知らないよ。ペットが立ったんでしょ」
 彼女はまるで声を忘れたように口をあけて僕を見る。ようやく思い出したように声を絞り出した。
「そんな横暴ってあるもんか」
「なんだよ」
「どうして私は何もしてないのに外国人に車を盗まれて、君はペットが立った程度でキャデラックの倍近いお金をもらえるのよ」
「だから人生ゲームって言うんじゃないか」
「?」
「人生は理不尽なものだよ、大体においてさ」
 一瞬彼女はきょとんとした顔になって、それから僕の頬をつねった。いたいよ、と不明瞭な声で抗議すると、彼女はまるで傷ついたような顔でもう一度指先に力を込めた。

(つづく)