天狗日記

過日、インフルエンザの予防接種をしたのでなんとなく身体がむずむずする。今や僕の体内では侵入者を叩きのめすために白血球が血眼に違いない。屋根の上からそれをくらく眺めるインフルエンザウイルス。まずは観察、血祀の予感。忍びの戒め。
て、そりゃゲームのやりすぎだっつう話なんですが。あたくし。二十歳を越えてからゲームの面白さがわかって来ました。ルールを破らない範囲で逸脱する喜び。
世でTVゲームが人気なのは、致命的なルール違反が構造上不可能だからではあるまいか。そこでは何が起きてもプログラムの掌の中。安心して逸脱できるっつう訳で。

さてさてひるがえって年齢の話。
世界には戸籍年齢と肉体年齢というものがありはしまいかという話。
戸籍年齢は文字通りいちおうの寿命の目安として使うべきで、けっしてこの年齢までに何かをクリアしなければならないような、関門としての規準ではないと思うのです。寿命の目安。我ながらなかなか的を射ている。
それに付随して、このくらいの戸籍年齢ならばこのくらいの身体能力が限界ですよっていう、体力の目安のようなものではあるまいかと思うのです。

ちゅわけで、戸籍年齢肉体年齢ともに『この年ならこれは出来なくても仕方ないよね』という許容ラインとして使われるべきのじゃないかちゅのが持論なんです。老若ともに。ソーシャルじゃなくてフィジカルな『限界の目安』ではあるまいか。
だから「この年齢だったらこれは出来て当たり前」という考え方はちょっと敬遠申し上げたい所存にて候。
何が言いたいかと申し上げますと、一昨日わたくし、TVゲームを10時間ぶっ通しで遊んでもう腰が痛い。おとろいた。今日は今日とて昨晩五合も呑まぬというに、頭いたい。おとろいた。