再燃。なぜ人を殺してはいけないのか。(2)

えーと、どこまで書きましたっけか。そうそう。殺すのには理由が要る、という話でした。
誤解を恐れず結論からいいますと、僕自身は、人は殺してもいいと思っております。
ただ、『まだだ、それはまだ、今じゃない』というのを常に付け加えるのが僕の結論であります。まだほかに方法があるはず、と思うのです。

たとえば殺されるのが嫌だから殺さない、というのでは、殺されてもいいから殺したい、という人を納得させることは出来ないと思います。なぜかといえば、それは主観だからであります。自分が相手の立場にたって考えた言葉ではなく、相手を自分の立場に立たせて聞かせる言葉であります。それは説得ではなく、押し付けであると考えます。
取り返しがつかないから殺さない、というのでもやはり、根拠としては弱いように思います。僕らは常に取り返しのつかない人生を送っているわけで、極論としては子を産み、増えることも取り返しのつかないことであります。

僕は、人は殺してもいいと思います。人は殺しても構わないが、ただ、それは本当に今か?と考えながら暮らしてゆくことこそが、人間の中で生きるということではないかと思っています。
殺す、ということはその時点で相手を終わらせることです。人生というのは固定された一視点から見た世界ですから、基本的には自分の視界から大きく外れればそれは自分と相手の関係が終わったということになります。だから主観的に相手との関係を終える方法は、本当は別れたり、引っ越したり、電話帳から消したり、おまわりさんに泣きついたり、沢山あるんです。その中の究極が、相手の殺害、だと思います。
だけれども、だからこそ何かを『続ける』為に人を殺してはいけないと、僕は思うのです。それは、たとえば自殺する少女たちの幻想のようなものです。死後の世界でどうやって暮らそうかと考えながら自殺を選ぶのはナンセンスです。同じように、主観を続けるために客観を終わらせるのもナンセンスなのです。

結局のところ、僕はクマリネさんと同じように自分の作るものでなぜ人を殺してはいけないのかということを見せて行くしかないのかも知れない、と思います。正確に言うと、なぜ人を殺してはいけないのかという問いの答えではなく、少しずれたものです。
たぶん僕が提示できるものは、『人は殺さなくてもいい』という赦しのようなものじゃないかなあ、と思います。「だいじょうぶ、彼も、彼女も、もちろんあなたも、殺さなくてもだいじょうぶだよ」、という言葉を物語に乗せて届けることなんじゃないかと思います。ほかに幾らでもやりかたはある。だからだいじょうぶ。

僕は基本的にアレな人間なのか、人を殺してはいけないと、どうしても思えないのです。
だけれども同時に、人は殺さなくてもいい、という未だ証明されていない仮説のようなものを信じているのです。どんな目に遭わされても、どんなものを見ても、人間の心というものはつよく、気の持ちようや意志やつながりによって、再び立ち上がることができると、僕は信じているのです。
たとえばもしも、それがどうしても出来なくなってしまった場合、四方も八方も塞がって、追い詰められて、ほかにどうしようもなくなってしまった場合、本当にどうしようもなくなった人を見たら、僕はきちんと責任を持って『よし、殺してもいいよ』と言うでしょう。いまだ想像はつきませんが僕自身も、そうすることがいつか、あるかもしれません。
でも出来る限り(おそらくは物語の形をとって)、人間が人間を殺さないで解決してゆく姿を提示してゆくでしょう。あるいは逆説的に、人を殺すことでは解決されないという姿を書くかもしれません。
ともかく、僕らは可能な限りあらゆる手段でもって、相手を殺すなんていう短絡的な、ジャンケンで言えば万能の田舎チョキのような、FFで言えばバニシュしてデスのような、考えた痕跡も身も蓋もない終わらせ方をしないで済む、尊厳のある人生を書いてゆこうと思うのです。

結論。僕は子供から「どうして人を殺しちゃいけないの」と聞かれたら、こう答えるでしょう。
「人は殺してもいいが取り返しがつかないのでよっぽどでなきゃ駄目です。というか他にやりかたはあるはずでしょ。考えればぜったい何か方法があるでしょ。だからとりあえず、殺すしかないって万人が認めるくらい完璧な結論が出るまでは考えなさい!もー!バカなんだから!
でも、誰に相談しても駄目で、誰も助けてくれなくて、どうしても他に方法がなかったら、やりなさい。その時はわたしが責任を持ちます」

ちなみに、理由はないけど殺したい、理由はないけど殺してみたい、という人に対する回答としてはとても簡単で「うるせえ我慢しろ」という一言でいいと思います。根拠のない衝動に対して、理屈や計算をもって向かうのは賢明ではありません。理由はないけど殺したいなら、理由はないけど許さない!強いて理由を言えばなんか気に食わないから!とかいえばいいだけの話。
結局、本当に理由なしでやっちゃう子というのは本当に不意にやっちゃうので、相談してくれる子は、その時点である程度の納得を求めているんだと思います。納得すれば人間は大体のことは誇りに変わるし、やっていけるんです。

というわけで遅くなったので今日はここまで。
で、この項の穴としては、「他に方法があるのは分かったけどめんどくさい、えい、殺害」という精神の怠惰による殺人者に対してなんの説得にもなってないことですが、心が怠けきってる人というのは何をしても駄目なので穴とかに放り込んでペリカで飼ってレジャーランド建設のため日夜問わず頑張ってもらえばいいと思います。

なんか書くべきことが多い気がするこの項、もちっとだけ続けるかも。
では。