わたしのこえ、あなたのこえ

重なるものは重なるもので夜分、懐かしい人から電話がかかってきて、迂闊にも話したのである。
わたしの声とあなたの声が、かけらづつ、交互に盤面を埋めてゆく。千日ぶりの千日手。受話器を置く頃には、また再び、掘り返した思い出は水の中へ。あぶくもたてずに深く深く沈んでゆく。少しだけ恨めしげに口が開くのが見える。言葉はない。
人間はただ、水でできている。いれものだけが人を変える。
あのね、人間てそんなに変わらないと思ってたよ、とその人は言った。声だけはそりゃあね、と返事をするとその人はまるで泣き出すみたいに笑い声をあげた。
僕はたくさんの人を傷つけ、取り返しのつかないことを重ねて生きている。少しバランスを崩した人の声を聞きながら、僕はやはり平静ではいられない。
波の立つ心を、波紋たつ水の身体を、当たり前の顔をして抱えてゆくしかない。
幸福にならなければ。すべてを幸福にしなければ。幸福を生まなければ。
そんなことを思って酒に酔ってばかり。今日は今日とて会社の事務の子と飲みに行ったんである。変な関係ではないが軽く心悩む宵。ここは東京である。