三巻読んだ。

物語は一旦段落。
しかしなんていうんだろう。竜児と大河の口論と、二人のモヤモヤの理由がはっきりしたシーン。
地の文章に「むかついた」という単語がぽんと飛び出したところで物凄くなにか大事なものに気付いた気がしました。
たぶん、これは作者の語彙に限界があったのではなく、色々選んだ結果、読者層に対して一番伝わる言葉がナニだったんだと思います。
ラノべ全般について語るのは早計かとは思いますが、それでもラノべに求められているのは手っ取り早く内容を伝えるのに特化した文章という感じがすごくします。
全読者に均一な情報を、というか、皆の脳裏に浮かぶ画像を規定する、というか。
文語と口語で激しく落差づけた文体を意図的にまぜて並べる見せ方は、ものすごく分かりやすくて「ここギャグパート」「ここシリアスパート」という標識(エアタグ)のように使われているように思いました。
こういう風に、読者との符号のようなお約束で文章を書いてくやり方は、一度慣れると抜け出すのがすごく大変そうです。
おそらくは便利すぎて。
読者に対して、文体の硬軟比率だけで先の展開を予告出来るっちゅのは、ある意味ものすごくメタな威力を発揮するように思うのです。
例えばとにかく泣きたくて読んでいる読者に対して、この先泣けるシーンですよ、というエアタグをポップさせて泣く準備をさせるようなことは、どんな小説技法より手っ取り早いナニのように思うのです。

そういう特殊技巧の書き方は、抜け出せなくなりそうでこわいと強く感じました。
なるべく、文体による場面形成はやりたくないなあ…。