本と恋。

ぎぶろぐにてラノベと創作論についての話が出てて、興味深いので混ざりたくてうずうずしつつも、いやーでもやっぱりラノベとかよくわかんないしなあ、などとうじうじ考えているうちに書きたいことがまとまってきてしまったので書く今日の雑記。
特に未来に向かう訳でもなく、有益な示唆に満ちている訳でもないと思うので公開するのもホントはナニなのかもしれないけど…などと、うでうでうでうで前置きをするのは、つまり、創作論というやつは、ひたすら友人をなくしたりする方向に向かうことが多いからなのであります。
だから聞かれない限り答えぬようにしようと思ってはいるのですが、時折、ふっと思うことなども多く、忘れっぽい身としてはなるべく書いて残しておこう、とも思うのです。webの私物化ですね。仕方ない、仕方ないの備忘録。
っちゅわけでモンハン用に買ったUSBキーボードの具合を試すのだとかなんとか、言い訳をつけての今日の雑記(枕二個目)。

読書や創作と恋は似ている、と感じるのです。
創作論と恋愛論はとっても似ていると思うのです。いずれにせよ僕の感覚にもっとも近いところにいたのが中島らもでした。恋愛というものは基本的にめんどくさい、というよりも毒に近い、というようなエッセイを読んでものすごくうなずいた覚えがあります。
恋に落ちると何も手につかなくなるし、胸は苦しいし、恋なんて厄介なものはこの世に存在しないほうがいいと思う。だから、恋に落ちないようにもっと他のことをして生きよう、と思うんだけど、なぜか事故のように恋に落ちてしまう。恋をしながら、恋なんてなくなってしまえばいいと願う。…というようなエッセイでした。原本手元にないのでアレですが。
創作や読書も、似たようなものだと思うんです。
読まなくていいなら読まないで生きていきたいし、書かなくていいなら書かないで生きていきたいけれど、どういうわけだか面白い本に夢中になったり、書かずにはいられないことが出来て、書いてしまったりするのが僕にとっての創作であり、読書であります。避けたいけど避けられなく、避けるべきなのに避けたくない気持ちの塊のようなものだと思うのです。これは、本当に人を愛することに似ています。
人を愛さない方が徹底的に楽な生き方なのに、人を愛さずにはいられないというのが、サガというやつです。書かないほうが楽なのに、書いてしまうのがサガです。

ラノベ界というのは、僕にとってはトリコでいうところのグルメ界のようなもので、人知を超えた何かが集う魔界のようなイメージなのですが、その地で起きているという異変のようなものを垣間見て思うのはやはり、恋に似てるなあ、ということなのです。
好きな相手もいないのに「とにかく恋がしたい!」とか、「クリスマスまでに恋人を!」とか、その手の熱狂に対して思うことに似ています。なんというか…この…それは本当に「君がしたいこと」なの?というような。誰かに言われたり誰かの真似をしてるだけじゃないの?というような。
恋人がいる、恋をしている、ということは勿論幸福なことだけども、それだけじゃないよなあ、というか。人はいつか死んじゃうものなわけで、愛する相手がいつか死んじゃうことを考えるとそれだけでこっちまで死んじゃうような気持ちになってしまったりもするし、そういうことを考えると、真実、恋なんぞせんほうがいい、と思うわけです。でもせずにはいられない。難儀なものなんです。

とにかく恋がしたい、と、とにかくメジャーデビューしたい、は似ています。
クリスマスまでに恋人を作ろう、と、コミケまでに一冊本を作ろう、は似ています。

もっともクリスマスのために誰でもいいと思って掴まえた彼氏が偶然、いつまでも愛せる相手であることも世の中にはあるでしょう。何がきっかけでも、結果さえあなたに幸福をもたらすなら、それはそれでいいと思うんです。
でも。
恋愛市場というマーケットと小説だの漫画だのというマーケットがあって、いずれにせよ世にちやほやされているのは、単なる流行であって、個々の心にずっきゅんと突き刺さる本質ではないのだと思うのです。そりゃ誰の心も捉えて離さないスーパーシャンもいるでしょう。皆が夢中になる物語もあるでしょう。でも、重要なのは誰のために美しくなるか、誰のために物語を捧げるか、ではないでしょうか。最近の日本の創作物、「○○に捧げる」、というのがなくなってる気がします。
前述のぎぶろぐで話されている内容から果てしなくズレてしまっているのがナニですが、根本のところでそのあたりのことを感じるのであります。

今のオタカルチャーなどにおける居心地の悪さ、というものは、多様性がどんどん欠如していっている居心地の悪さのようなものではないでしょうか。かつて、恋人のために選んだ花を飾った女の子たちや、恋人のために詩を書いた男の子たちは消えてしまい、みんながみんなドンキホーテで買ったコロンを首筋につけておけばとりま安心!みたいな風潮で生きているような感じではないかと思うのです。
おまえの、それは、恋とは、関係ない、だろ。みたいな。
もっとも、彼ら彼女らのマーケットに僕などは参加しておりませんので、それこそ「お前のためじゃねえよ」といわれて終わりで構わないのですが、焦点の合ってない目の視界からも外れているというのは、ちょっと不安な感じにはなりますね。
もしかしたら異常なのはこっちなのか?みたいな。

でもって、昔から恋愛マーケットという中で多様な価値観は育ちにくいというか、バブル期で言えばネアカでお金持ってて髪サラサラとか、その時代においてのディスイズ至高、というような「トレンド」があって、それに群がる人がいて、まったく別の場所では同時代を生きている人たちの創作マーケットのようなものがあって、それぞれの業のようなものを骨太に貫いていたのが僕らの生きた90年代だったような気がするのです。恋愛市場とは違う言語が貫いていたような気がしているのです。
もっとも、その頃僕ちょう子供だからあんまり胸張って話せないけど。

ええと。
夜も更けたのでとりあえず今日は一旦締めます。
そうねえ。
最近の漫画とかアニメとかの傾向は、恋愛マーケットに擦り寄ったせいでその多様性を失いつつあるんじゃないかしら。