地震備忘録(1)

書かないと忘れてしまうので備忘録。

3/11金曜日
午後に横浜に行く用事があり、さっさと出かけたいなあと思っていたのだけれどなかなか仕事が片付かず、予定出発時刻の二時を過ぎてもダラダラ仕事していたら、不意にぐらぐらきた。
最初は少し大きいな、という程度だったのだけれどあんまり長く揺れていて、しかも徐々に強くなっていったので、同じ会社で働いている配偶者を押し出すようにして建物の外へ。
確かその時、社内にいたのは6人くらいだったはずだけど一番最初に外に出たのは僕ら。
外に出たときはまだ、危険を感じるレベルの揺れではなかったが、駐車してある車がゆさゆさ揺れるようになって、中から他の人が飛び出してきた。

外に出ても揺れはおさまらず、むしろ強くなって来たのだけれど何をするわけにもいかず、ただ道路の真ん中で立ち尽くす感じ。僕は「ビルの中に鞄置いたまま来ちゃったなあ」などと考えていた。慌てると妙なものを抱えて出てしまう、というが、それほど慌てて出たわけではないので手ぶら。コートも羽織って来なかったので薄着。普段からキャピタルウェイストランドで生き抜くにはどうしたらいいものか、などと考えていた割には危機のときに準備が出来ない子ね、と自嘲する。
でもまあ、危ないと思う前に外には出られたのだから合格でいいのかしらん。

そうこうしているうちにあたりのビルからどんどん人が出てきて、皆、道路の真ん中に立ち尽くしていた。遠くの方のビルからは砂煙だと思うのだけれど、ビルの根元から白いものがぼふぼふと出たりしていた。
ちなみに職場は神保町。古い建物ばかり。
塊魂で少し大きめのビルに激突したときのような、「あとちょっとでもげる」ような揺れ方をしているビルが多かった。根元の壁が剥がれたり、タイル砕けたりしていた。不謹慎だけれど、ホントに塊魂を思った。もう少し揺れが強くなったら、コロン、と横に転がっていくんじゃないかという感じ。

揺れが収まったころ、会社の人が携帯取り出して地震速報みたいのを見だした。
そこで初めて僕も携帯の存在を思い出し、そして思ったのは、さっきの揺れを動画で残しておくべきだった!ということだった。
会社の人が言うには東北で震度6だか7だかだということだった。阪神淡路大震災中越沖地震の震度と同じかそれ以上じゃないか?などと考えたが、具体的にイメージが出来ない。
まずは今の揺れが震度幾つなのかということを考える。が、このあたりの震度がどうもはっきりしない。
その後、東京は5強という揺れだったと聞いたが、なるほど、と思う。震度4や3とは全然違うのね、などと思う。
近所の、馴染みの寿司屋の大将が、「おれ、怖くて泣いちゃうかと思ったよ!」と軽く引きつった笑いで言っていたのだけれど、実際、揺れがひどくなるまで建物の中にいたら相当怖かったろうなあ、と思う。

どうあれ荷物を取りに戻ろうとビルに入ったらコーヒーメーカーが倒れて大変なことになっていた。床がコーヒーでびっしゃびしゃ。引き出しという引き出しは大概開いていて、日頃整理していない人の机は嵐の後のようになっていた。空巣でもこうはしないよ、という感じ。
おーおーおー。などと思いつつ掃除をしていたら、お客が来たのでコーヒー淹れてくれねえか、などと頼まれる。地震の一分後で、それどこじゃねえだろと思う。とりあえずは仕事の話どころじゃねえだろなどと思う。見てわかんねえのか缶コーヒーで我慢せい、というような意味を簡潔に伝えてお掃除。
ワークホリックなのかなあ。なに考えてるのか判らないなこの人。

掃除が終わったあたりで再度の揺れ。
さっきの教訓を生かして、鞄だのなんだのを持って屋外退避。今度も結構揺れた。遠くのビルでは3階くらいの外壁が剥がれておっこってがちゃん、と音がしていた。
さっきのお客たちも飛び出してきた。不謹慎だが、君たちはいっぺん怪我でもしてみりゃいいんだ、などと思う。
揺れが収まって周りを見ると、鞄を持っているのは自分ひとり。ビルの看板の下にぼっと立っている者さえいる。「落ちてきた看板で怪我しても同情しませんよ」というような意味を簡潔に伝えておく。
さっきのコーヒーといい、今回といい、危機意識ってなんだ。
君らは、キャピタルウェイストランドで生き抜いてゆけるのか。ウィラメッテショッピングモールで生き抜いてゆけるのか。ラクーンシティでは、フォーチュンシティではどうなのか。

このあたりでじわじわと恐ろしくなってきた。
横浜行ってなくてよかった、というか、都内でどんなことが起きているか、想像を始める。電車横転くらいはしているかもしれない。
ワンセグ携帯を持っている人がニュースを見ていたが、あまり情報が整理されていないのだろう。あまり聞く価値のあることを放送しているようには見えなかった。
ラジオだ。
ラジオがあれば、と不意に思う。災害下ではラジオだ。スマートフォンよりラジオだ。両手が開くし、目を奪われなくて済むし、何より周囲と情報を共有できる。ありゃ災害ツールとしては本当に優秀だ。
そのうち買おう、というか、ラジオを聞けるようなオプションがついているものを買おう。ICレコーダーとか。
そんなことを考えていたらやっぱり動画撮影は忘れた。僕、記録係とか向いてない。

そして二度目の揺れも収束。
隣の配偶者に、横浜行ってなくてよかった、と伝えると一瞬はっとしたような顔をされる。
自分は妙なところで危険をするりと抜ける癖があるようにも思う。ここ数年で一番印象に残っているのは秋葉原の通り魔のときだ。ちょうどあの時間に秋葉原に行こうとしていたのだが、よく判らない理由で「やっぱり鎌倉にしよう」などと宣言して鎌倉に行った。何かに呼ばれたとかそういうのではなかったと思うのだが、鎌倉という突飛な変更は今にして思うとホントに自分の意思か、とは思う。いずれにしても意識して回避したものではないので、何者かが僕を危難から押しやっているようにも思う。先祖か。加護か。ともあれ。

二度目の揺れの後始末は、先ほどよりはずっと大人しい感じだった。コーヒーこぼれてないのでかい。
席に着くなり電話が鳴る。ぎょっとして取ると取引先だった。ガッツがあるのかタフなのか、それとも単にクレイジーなのか。仕事の話だった。普通に仕事の話が始まって軽く違和感。ここにもワークホリック。あそこにもワークホリック。それを言うなら僕もなのか。話している最中にも余震がぐらぐら。相手は気にせず仕事の話。あんまり緊急でもない用事の仕事の話。

電話を切って、あ、電話が繋がるうちに家族に安否確認を、などと思ったのだがもはや当然電話なんて繋がらないのであった。

(続く)