地震備忘録(2)

電話はさっぱり繋がらない。
と思ったら奇跡的にコール音がした。年寄りだけで住んでいる本家へのコールだった。
一回、二回、とコール音が響くが一向に取らない。ちょっと、出てよ、と祈るがさっぱり出ない。何分も鳴らしていたと思うが、きりがなかった。
待てよ。ケアセンターに行く日が時々あるって言ってたっけ。半ば自分に言い聞かせるようにして受話器を置く。隣では配偶者が東北にある実家に電話をかけ続けていた。こちらもさっぱり繋がらないようで、僕は本格的に参ったなあなどと考えていた。

その後、揺れが少なかったせいか定時まで会社にいた。
正直、このあたりが一番ぞわぞわした。誰も帰ろうよと言い出さず、責任者も帰っていいと言わない。家族に連絡が付かないひとばかりだったが、誰一人として帰りたいと言わなかったのだ。地震も異常事態だが、この状況も大概異常だ、と思った。なんだろう。30歳を越えた勤労男子はこういうとき、指示があるまで待機してるのが普通なのかな。
だが僕は空気の読めない子なので言った。
「うちの水槽が心配なのでかえりまーす」
実際、家で飼っている亀は配偶者よりも長い付き合いだ。コーヒーメーカーの惨状を目の当たりにして、けっこう暗い想像などもしていた。
定時過ぎになるとさすがに引き止める口実がないみたいだったが、誰も僕に続かなかった。家が遠い人ばっかりというのもあったのかもしれない。徒歩で帰れない圏の人々には少し同情もしたが、だからって僕がここにいてどうなるものでもない。
ともあれ、こういう意味のわからない待機状態からは一刻も早くおさらばしたかったので、諸氏に挨拶して出発。こういう状況なのにいつもどおりタイムカード押したのは、我ながら少し面白かった。非日常の中にも日常があって、日常の中にも非日常がある。
出かけるときに、しばらく会社に来られないかもしれない、と考えて机の中のお菓子を鞄につめた。ついでにポケットティッシュ。あと、もしものときに役に立つかもしれないと考えて、PPバンドだのダンボールだのも切れる、鋸刃のついたペーパーナイフ。
「皆さん、お気をつけて!」
出発するとき、入れ違いにそのあたりへ出かけていた人と会った。もうコンビニは食べ物ぜんぶ品切れだそうだ。マクドナルドが閉まったという話も聞いた。まだ日は落ちていなかったが、こりゃ、もしかしたらリアルキャピタルウェイストランドが来るかもしれないぞ、と僕はひそかに身構えた。

そして僕らのロングウォークは始まった。

町に出ると、白山通りはお祭の最中の路地みたい。もやもやと人が移動している。とはいえ、それほどすごい人の量というわけでもなく、まさにちょっとしたお祭の終わりぎわのような感じ。帰る人の群れ、というのではなく、移動する人の群れ。一次会から二次会に。お祭から打ち上げに。
ともあれ会社から家までは、多分歩いて二時間くらい。iphoneGPS昨日はこんなときは凄くいいよな、と思う。途中の自販機で暖かいお茶を買って、飲まずにポケットに入れて歩く。すごくあったかい。暖をとるだけとって冷めたら飲んでしまえるなんて。こいつを考え付いたのはジーニアスだ。
ともあれ配偶者とふたり、サバイバルの話をしながらてくてくと歩いた。
道すがらヘルメットを被っているオッサンを多く見た。OLも見た。けっこう持ってるものなのね。マイ防災ヘルメット。勿論のこと僕らはそういうの持ってないので、落ちてくるものを避けられるように、なるべくビルから離れて歩いた。もちろん、ビル側を歩いている人もいた。白山通り沿いの100円均一ショップはまだ営業していたので、何か地震グッズでも買おうかと覗いてみる。特に混雑している様子はなかったので、とりあえずお掃除グッズを幾つかと、ついでに、もともと買い換えようと思っていた便座カバーなどを買う。
ちなみにこれまで、停電の気配ゼロ。
後々に聞くと、けっこう停電したり断水したりしてるところが多かったみたいなのだが、このときはその可能性に思い至らなかった。会社でも普通に水道は出たし電気も普通だったので迂闊。ペットボトルのお茶を飲まずに持って歩いたのだって、単に暖をとりたかっただけなので、このあたりは本当に迂闊だなあと振り返って思う。
モヒカンと交戦できるようにペーパーナイフって、そこじゃねえだろと過去の自分を問い詰めたい。小一時間問い詰めたい

さてさて。
結論から言うと、帰りがけに停電地帯を通ることはなし。むしろ、お散歩気分で不動産屋とか覗きながら帰った。ロングウォークといっても、本当に長い時間歩いたというだけで、感慨という感慨はなし。繋がらない電話をかけながら、二人、手を繋いだり繋がなかったりしての一時間半。モヒカンは出なかったし、もし出たとしても僕らの歩いたルートでは多分大人しくなっちゃうと思う。とにかくどの道も、路地に入るとかしない限り人の切れ目がなかった。時刻はだいたい6時すぎ。混雑で歩くのしんどい、というほどではないけれど、信号が赤になると、どの信号でも十人から十五人くらいは溜まる。

僕が地震を実感し始めたのは、自宅の最寄り駅に着いた頃だった。タクシー待ちの人がすごい行列。駅ビルはシャッターが下りていて、「今日はJRもう無理!諦めて!(意訳)」の張り紙。
JR完全死亡ってのはさすがにただ事じゃないぞ、と少し足も早まった。早まったが、途中のスーパーが普通に営業してて立ち寄り。馴染みのレジの子に、地震平気だった?と尋ねると、ワインが割れまくって店長が頭抱えてます、と言われる。おお、おおお。そういえばお酒の棚の横のカゴにワインしこたま入ってたっけ。ありゃ、割れたワインでラベルとかが汚れたやつなんだな。なるほど。気をつけてねと挨拶して家までラストスパート歩き。

家のドアを開ける前に少しだけ覚悟をした。外観は大丈夫だったが、中はどのくらい惨憺たる有様だろうか。靴を履いたまま、最初の電気をつけると拍子抜け。
そこにはほとんど朝出たときと同じ光景が広がっていた。
絶対落ちて割れると思っていたウイスキーのボトルは棚から落下すらしておらず、水槽も定位置。縦置きにしておいたxbox360が横置きになっている程度。本棚から落ちている本もなし。
このあたりで僕の地震観は揺らぐ。

あれ?これって実は大した事ない地震だったのかな?

それでもって配偶者と、さっき不動産屋で見た間取りなんかについて話しながら、いつもどおりに着替え、テレビをつけて絶句。こりゃ、なんというか、ええと。
参ったな、と思った瞬間にメールが10件くらい立て続けに届いた。デフォルトの鐘の音にしてあるのだけれど、非常事態かというくらいカーンカーンカーンカーンと鳴り響く。どれも安否を気遣ってくれるメールだったり、自分の安否を知らせてくれるメールだったり。
多分、トラフィックで詰まってたのだろう。それぞれに返信をして、それから幾つかこちらからも連絡を試みたり。
津波の映像に言葉をなくしているところに、本家の年寄りは温泉旅行に行っていて無事だったという連絡が入った。東北にある配偶者の実家は「無事、怪我ない」という短いメールが入ったっきり音沙汰がなかった。
大丈夫、と言い聞かせるようにして無言でニュース映像。

何か、何かできることないかと考えて都内で遭難してそうな人にメール。全然帰ってこなかったり、すさまじいタイムラグがあったりであまり役には立てなかった。こういうときに何か、気の利いたことしたい、と思ったけれど基本的に後手後手。中身はめちゃくちゃになっているかもしれないけれど折角都心から近いところに家があるんだから、最初に人の心配までしてあげられれば完璧だったなあ、と思う。
正直、自分と配偶者の安全を第一にして、他の事を考えようとすら思わなかった。もう少し余裕を持って先を見通せる人間でいたいなあ、と思う。キャピタルウェイストランドを歩くつもりで歩いても、ここは東京都。東京都だって気付かなきゃ。

こういうのも、今はやっている買占めに近いものがあると思う。自分の安全が確保された、と判断するための必要条件が厳しすぎるのが問題なのだ。オーバーキルの逆はなんていえばいいんだろう。ラストバトルにエリクサー99個。か。
(続く)