死にたいと呟くあなたへのエントロピー

oberon2011-09-06

僕はつめたい。
つめたいので特に何を言われても気にならない。さみしくもない。どんな時もわりとふつう。他人に怒ることは本当に少ない。怒るエネルギーもったいない。そんなエネルギーあったら他のことする。あなたには関わらない。
僕が怒るのは、多分、自分の執着が原因だと思う。僕は自分がベストと思うものを思い、あなたさえわたしの思う通りになればそれが叶うのに、と怒る。そしてしばらくが経ち、やっぱり他人を思い通りにしてまで欲しいものなんてないやと気付く。僕は怒るのを止め、ゆっくりとあきらめる。
手に入らないものは手に入らないものなのだ。僕は叶わない夢や高すぎる希望を欲しない。

心配されるほど僕は無理をしない。色々なものを見切るのが多分、すごくはやい。このままで行くと疲れちゃうなあ、とか思うとすぐやめちゃう。リソース配分の最上項には、毎晩の睡眠が居座って動かない。
「今、ここだけ無理すれば」とか別に思わない。無理なものは無理。出来るならそれは無理じゃないし、スケジュールに組み込めるならそれは予定になり得るものだと思う。
僕はずっと続けられること、続けたいと思うことしかしない。手を出さない。怠惰だなあ、と時々は思うが、べつに辛くない。これが僕の本質なのだ。仕方ないし、割と嫌いでもない。

最近、すごく心に響く思うことを言われた。
「君はキャパシティが大きいから、他の人に比べて寛容に見えるけど、自分のキャパシティを越えた時の反応はふつうの人と同じだよ」
分かってくれている人がいると本当に安心する。特別な人間でなくていい。
なるべく文学的に生きて行きたいとは思うけれど、それは奇矯な生き方をしたいという訳ではない。
当たり前の倫理観と、少しの背伸びで生きて行きたいと思うだけだ。だけどそれは、ただ僕の趣味。倫理観を持たず、何かを見下して生きてる人でも別にいいんじゃないの、とは思う。何を思うかはそれなりに自由だ。皆が僕になればいいのに、とは微塵も思わない。
みんなちがってみんないい、というかただ、みんな、ちがう、だけだ。

僕はつめたい。
つめたいからこそあなたの横にいられる。僕はあなたを特別視しない。僕はあなたを蔑まないし、何かと比べたりしない。僕がすることは僕が望むこと、余裕があって出来ることだけだ。

あなたが死んだら少し悲しいとは思う。しかしやはり、僕はつめたいので、それが僕のせいだとは思わないだろう。僕のできることはやったけれどあなたには届かなかった。残念だなあ、と思いながらあなたのことを少しづつ忘れてゆくだろう。
あなたのことを忘れるのは少しさみしいけれど、しかたない。
僕はつめたいので、と言い訳のように呟いて、明日も生きてゆく。

だから、お互いにお喋りできたり、手を繋いだり、あるいは殴り合ったりできるうちは、なるべくそういう風に過ごそうじゃないか、と思う。生きているうちは、生きている間にしかできない事をして過ごそうよ、と思うのだ。