んがあぁ

はてダのメール投稿ほんと調子わるーい!
電車内で送るのがダメなのかと、落ち着いて送ってもやはりダメ。
なんということでしょう。

ともあれ。
最近声の大きい話題になっている例の、自炊代行訴訟から始まる何やかやについてです。
もしドラ作者云々の叩きについては、結末が明らかすぎてもうやめてあげればいいんじゃないのかしらとか思います。人に噛み付くのを否定するわけではありませんが、文章ってあとに残ってゆくものなので、もう少し、こう、なんというか。ねえ。
書いてるうちに昂ぶってしまったのかも知れませんが、書物に対する愛は、何かを否定することでは決して記述できない気がします。ま、愛情全般に言えることですが。
愛を記述するには、こんなやつァ駄目だッと人に噛み付くのではなく、こんな人が好きだッという呟きを重ねてゆくしかないんじゃないかしら。

ともあれ。
僕の本に対するスタンスは明快で

書物は「他人の人生」だと思え

という一行のみです。
感化されてもいいし、憎んでもいいけれど、やはりそれは他人の人生。我々に出来るのはそれを「自分の人生」にどのように活かすかということだけ。
だけど、他人の人生なのだから表向きだけでも尊重すべきだと思います。これみよがしに踏みつけたり引き裂いたり罵ったり、そういうことはやめておくのが品位かなあ、などと思います。なにしろ血の通った他人の人生ですので。

ともあれ。
僕も一応界隈の端っこにおりますので自分の立ち位置を明らかにしておきます。
僕は、自炊についてはまさに「お好きにどうぞ」というスタンスです。自分の書いたものも、究極的には「読んでもらう」ことが目的なので、そのために自炊するのもいいでしょう、とか思っています。せっかくだから電子書籍化も自分プロデュースでやってみたいなとは思いますが、読み手の心に届くなら、経路は割と問いません。
切ないのは、読んでもらった上で、「この人の描いたものをもっと読みたい」と思ってもらえないことです。これは作家能力の問題なので仕方ない部分もありますが。

著作権料云々については、少し特殊かもしれませんが、大事なのは作者が報酬を受け取る、ということではなく、読者が報酬を支払う、ということではないかと考えています。
前者を最重要視するなら、作者が死んだ時点で、本を定価販売することの道義的根拠が消えてしまいます。
僕らは他人の人生に敬意を支払うべきで、その代表的なものが、例えば献花だったりするのではないでしょうか。
僕らは、あなたの人生に触れて少しばかり自分の人生に変化ができた。だから、あなたがまだ生きているのなら一杯奢らせてほしいし、あなたがもう死んでしまったのなら花を捧げたい。本にお金を支払うのはそういうことではないかな、と思います。
てめえの人生に期待して一杯奢ったのに期待外れだったじゃねえか金返せ、という人もいるかもしれません。品がねえなあとは思いますが、それもまた仕方のない話。
お金を返すわけには行きませんが、縁がないなら本棚には並べないでくだすって結構。力不足でした。作家に言えるのはそこまでではありますまいか。

話逸れた。
自炊訴訟の話。自炊は自由だけど放流はダメよ、という釘さしのための訴訟ということで理解しているのだけど、世間一般では違うのかしら。
前述の話は気概の話。それとは別軸として商売の話。
放流されることで不利益を被る作者が多くて、では、自炊業者は自分の仕事が「放流のためのツール」ではないですよという言質を出しなさいよ、と。仕事はやったらやりっ放しではなくて、放流ツールとして利用されない工夫をしなさいよ、という意味での釘さし訴訟じゃないのかな。現状、自炊代行って、つこうた開発みたいな感じだものねー。今度は広まる前に言質くらいとっておきたいわよねー。