いじめについて(1)

最初に立場を明らかにしておくと、いわゆる、通りすがりに尻を蹴っ飛ばす、という行為はしたこともされたこともあります。朝来たら机がなかった、ということも何度か経験しました。悔しいので、多分こいつがやったんだろうなというクラスメイトの机と椅子をかっぱらって座りました。学生時代に、いじめられているクラスメイトも見たことがあります。ただ、集団で無視するという類の手口はあまり目にすることも耳にすることもありませんでした。

そんな僕の「いじめ」に対する見解は、そんなに複雑ではなく、どんな行為も「アクションを起こした方が悪いという建前」で動いていいんじゃないか、それだけです。法律で正当防衛が成立するように、アクションに対するリアクションは行使する権利が比較的支持を得やすいと思いますので。

喧嘩や仲違いと「いじめ」の違いについて考えていると少し分からなくなるのですが、前者はシンプルな暴力や嫌がらせなのに対して、「やり返されるリスク」を管理するのがいわゆる「いじめ」ではないかなと思います。
僕がいじめの手口を見て、卑劣だなあ、と思うのは、「誰がやったか分からない手口」という一点に集束します。
誰が隠したか分からない上履き、誰が書いたか分からない落書き、どこから飛んできたか分からない紙くず、誰だか分からない無言電話、誰の意見だか分からないwebでの中傷。
それらはすべて、嫌がらせをしている犯人が「やり返されないため」の小細工だと僕は判断します。そしてそれは、一方的すぎるコミュニケーション。やるなら傷付いたり傷付けられたりすべき、という僕の信条からは大きく外れます。

自分がされてもいいと思うことを全て他人にもしていいというわけではないけれど、自分がされたら耐えられないことは、安全な位置から他人にぶつけるべきではないと思います。憎くて殴るなら自分の拳で。
ジョルノ・ジョバーナの言う「あなた、覚悟してる人ですよね」というのは名言です。人を傷付ける時は、同時に逆襲されることも考えなければなりません。

往々にして、いじめられる子は優しい子、プライドの高い子であることが多いと思います。自分がやられて嫌だったことを他人にしたいとは思わないタイプ。復讐したら相手と同じレベルまで落ちてしまうと思うタイプ。やり返すことで、他の子や家族などに迷惑が行くのを好まないタイプ。そもそも「いじめられる階級にいる自分」を認められないタイプ。
少し強い言い方ですが、どのパターンの子も全て、自分のことしか考えていないのだと思います。
脊髄反射的に我慢をしてしまう人を見るたび、野球選手の年俸交渉の話を思い出します。
「本当に野球が好きなら、自分の年俸を釣り上げる交渉をしてチームの財政を圧迫するより、むしろ必要な分だけで構いませんと言うのが正しい在り方じゃないのか」という野卑な横槍に対する返答です。

「自分は今季、トップクラスの働きをした。その自分が例えば400万円でいいと言ったとする。そうすると自分の半分の成績しか取れなかった選手の年俸はどうなるのか。トップのあいつが400万円でいいと言ってるんだ、半分の成績なら200万円貰えるだけで御の字だろうと言われてしまうんじゃないのか。では成績を残していない新人の年俸はどうなるのか。その理論でいうならゼロだ。だがゼロでいいわけがない。だから自分は叩き出した成績に見合うだけの年俸を交渉しなければならない」

うろ覚えですが、こんな感じだったと思います。
下品とか粋とか、そういうのは置いておいて、「許さないものを許さない」、「すべきことをする」というのは、個人的な思惑を超えた影響を与えることがあります。
あなたが我慢してしまうことで、相手に「これはやってもいいことだ」と認識させてしまう可能性があるならそれは、第二、第三のあなたを生み出す手伝いとも言えます。

ゆえに僕は、「いじめ」に対しては「暴力とさほど変わらない」と評価し、「報復しないあなた」に対しては「似たようなもの」と評価します。

さて。
僕は思うんですが、「あなたがいじめられるようになったきっかけ」と、「あなたがされている嫌がらせ」の間には、因果関係があるんでしょうか。
逆から考えるとわかりやすいと思うのだけど、「いじめっ子が嫌がらせをする」ということの「理由」は、「あなたがダメだから」ではないのです。もしそれが原因なら、それを解決するためには、他に正しいアプローチが存在するからです。嫌がらせをすることであなたの短所が解決することなど、あり得ないのです。
つまり彼らが嫌がらせをする理由は、ただ、「あなたが気に食わないから」なのです。一方的な理由ですね。まったくインタラクティブではありません。
だから僕はやはり「理不尽には抵抗しなければならない」と感じますし、尻を蹴っ飛ばす方も、「やりかえされる」ことを自覚しなければならんとも思います。
この辺りは建前の話になりますが、まあ端的にいえば、それなりの逆襲をしても「建前が守ってくれる」という話です。「殴ったら殴り返された」と泣きついても同情してくれる人はあまりいません。建前的には先に手を出された方が有利です。プレイヤーキラーvsプレイヤーキラーキラーみたいなので論理的にはアレですが、それでも世間一般での基本的な社会システムはPKKを保護します。
どんなタイプの嫌がらせに対しても、卑劣、という表現を使う人がいますが、それは少し違うんじゃないかな、というのが僕の意見です。
集団で囲まれてしばかれて、やり返すことが出来ないなら、身を潜めればいいじゃない、と思います。顔だけ覚えておけばいいです。誰だって一人になる時はあるのだから、その時に不意をついてやってやればいいじゃない、と思います。後ろから棒かなんかで膝をアレしてやれば、逃げられることもないし満足な手向かいも出来ないでしょう。初撃が膝なら、誤って殺してしまうことも少ないし、あとは加減して好きにやるといいです。
まあ、この辺りはwebをふらふらしていれば嫌でも目に付く言説ですので割愛します。推奨もしません。
そもそも、書くべきことというのはそんなことではありません。一対多の暴力に対するリアクション指南なんてものは、いじめの問題からは外れているのです。
往々にして世の中の大人が「難しいよねー」で逃げたり、そもそも語らないで目を逸らしてしまいますが、いじめのほとんどが「誰に仕返しをしていいのか分からない手口」ということが問題なのだと思います。
誰にベンデッタしてやればいいのか分からないケースですね。

(続きます)