聲の形

うまく言葉にならないのは、僕がついに人の親になったからだろうか。それとも、聴覚障害の友人ができたせいだろうか。はたまた、職場でひどい目にあわされているせいだろうか。
いや、たぶんそれはどれも違う。すべての言葉を知ったせいで話せなくなることがないように、色々な立場に身をおいからといって喋れなくなることなんてないのだ。
それぞれの立場を知って、誤解されることの辛さや怖さを知って、それでも話すのをやめないのが、文学というものではないかと思う。
千人に誤解されてもあなたに届けたい、あなたにだけ伝わればいいと思う。それが書くということ、発信するということだと思うようになった。
ネタバレになることを躊躇せず書くので、続きは折りたたんでおく。
この漫画は、聴覚障害の女の子を描いた漫画だ。彼女は一冊のノートを手にして転校してきた。『このノートを通して皆さんと仲良くなれたらと思います』。期待と、不安の混じった文章を胸の前で抱えて立った彼女は、その後、ただひたすらにいじめられて転校してゆく。これはそういう漫画だ。
彼女が目の敵にされる理由は明確には示されていない。明確な首謀者もいない。強いていえばそれは「空気」のようなもの、あいつはいじめていいんだ、助けてやることなんかないんだ、という雰囲気のようなものが彼女を孤立させていった。

しかしこの物語の主人公は、彼女ではない。率先して彼女をいじめていた男の子だ。彼は教室の空気にあてられ、流され、レクレーションのひとつとして彼女をからかって傷つけてゆく。彼は彼女を人間として扱わない。同種として見ない。彼女が何を考えているかなんて、想像もしない。それはまるで、ゲームの敵役のようなもの。見つけたら踏むし、斬りつけるし、顔にめがけて引き金を引いていい。世界はそういう風にデザインされている。彼は彼女をいじめることを疑わない。

この世界の最大の悲劇は、彼女は「同じデザインのゲームを遊んでいない」ということだった。彼女は主人公を、クラスメイトを、ステージの奥からわらわら湧いて出てくるゾンビの群とは思っていなかった。自分をやっつけるために装備を整えている悪役ハンターだとは思っていなかった。
ただちょっと皆、機嫌が悪いだけなのかも。質問するタイミングを間違えた自分が悪かったのかも。
彼女はそんな風に考えているようにも見える。彼女は、クラスメイトを憎んでいないようだ。不思議なことだが、彼女は受け入れているように見える。彼女の心の中は誰にも分からない。彼女は復讐もしないし、抗議もしない。諦めているようにも見える。いじめられ始めてから、彼女は自分の机で、自分のノートだけを広げて座っている。それはとても悲しい風景だ。

物語の中に彼女の心理独白はひとつもない。語られる言葉はすべて、彼女が外に出してもいいと判断したものだけだ。伝えるべきだと判断した言葉だけだ。彼女は衝動で意志を外に出さない。出せない。一拍おいて、考えて、文字にして、ノートに書いて、伝える。
だから彼女の心中は、その俯いた眼差しや、少し無理したような笑顔や、ノートの文字からしか、推し量ることが出来ない。

彼女が主人公との対話に一番近付いたのは、ノートを池に捨てられた時だ。
彼女は彼にノートを取り上げられて、やむなく手話を使った。人差し指で相手を指す「あなた」。胸の前で両手を組む手話の形は「友達」「仲間」
しかし彼はその意味を知ることもなくただ気持ち悪いと拒絶し、彼女のノートを池に放り込んで立ち去る。そして彼女は、ただ、立ち尽くした。コミュニケーションは、二人の間を繋がなかった。

彼はまだ、彼女が虫やビデオゲームの敵役ではなく、人間の女の子であることを知らない。
彼がそれを少しだけ考えるようになったのは、自分がいじめられる側に回ってからのことだ。
行きすぎたいじめは彼女の補聴器を幾つも壊した。その中には彼がやったものもある。彼女の両親は学校に相談をした。学級会が開かれ、担任やクラスメイトは一番目立っていた彼をスケープゴートにして、すべてを彼一人が悪かったことにしてしまった。
そしてその日から、彼はいじめられる側に回った。
彼女の立ち位置はといえば、ただの被害者、腫れ物、声も出さない空気みたいなクラスメイト、という位置へと押し出された。もう、クラスの中にいる彼女の姿は二度と描かれない。「いない」からだろうと思う。

そして彼の姿だ。
池に突き落とされて、上靴を隠されて、机に落書きをされながら彼は彼女のことを考える。こんな時、あいつは何を考えていたんだろう。
しかし彼はまだ、彼女を人間としては見ていない。彼女と対話しようとは思わない。僕らが生簀の魚を眺め、「こいつどこで生まれて今なに考えてるんだろう」と思うようなものだ。彼にとってまだ彼女は同じ人間ではない。壁の向こうの生き物だ。言葉の通じない、言葉を持たない生き物としてしか、彼女のことを見ていない。

そして彼は靴を隠すクラスメイトに詰め寄った。彼らは自分と「同じ人間」だから、会話が通じると思って詰め寄ったのだ。
しかし、クラスメイトはもう彼のことを同じ人間としては見ていない。
彼はクラスで起きた悪質ないじめの首謀者ということになった。だから彼は鉄槌を下されて然るべき人間。「パブリックエネミー」。「いじめていい子」。
だから彼とクラスメイトの間に、もう対話は成立しない。彼はシステマチックに袋叩きにされて、その辺に放っておかれる。

彼は気付いただろうか。意志のない人間は、自分で考えない人間は、たやすく「空気」という得体のしれないものに左右されるということに。そしてかつての自分もそうだったことに。
クラスメイトは別に彼が憎い訳ではなかった。「やっていい」から「やった」だけだ。こいつはいじめていい子、やっつけていい子。教室という箱庭はそういう風にできているから、それぞれのロールをこなしただけだ。やっつけていい子は常にやっつけられなければならない。

いずれにせよ、打ちのめされて彼は怒った。
たぶん初めて本当の意味で怒った。それは内に湧く衝動だった。特に何も考えず、ふわふわした空気に流されて選び易い道ばかり歩いてきた彼が、ようやく自分の意志で腹を立てた。
自分もまた、彼女を傷つけた日々の中で「何も考えていなかった」ということにも気付いただろうか。それはわからない。
しかし彼は考え、怒った。
怒ることによって、半分自動の、何も考えない、容れ物に支配された虫みたいなコミュニティから身体を引き剥がそうとしたのだ。

そして、この日に彼を変える二つ目の出来事が起こる。倒れている彼の横に、彼女がいたのだ。
倒れた彼の汚れた頬を拭こうと彼女は手を伸ばした。
彼の怒りはまだ言葉という形を取らない。彼のほんとうの自我は、たった数分前に灯ったばかりだ。
彼は怒っている。自分を人間と認めない連中に怒っている。憎くもないのに人を傷つけることの邪悪さを知る。自分を恥じる。彼は撃滅すべき相手の中に、無意識に自分も含めている。過去の自分もおんなじだ。連中に逆らわないやつも同罪だ。それは彼女だ。受け入れて、抵抗しないのは虫だ。彼女だ。俺は違う。同じだ。違う。変わらない。一緒だ。

もう彼は何がなんだかわからない。彼は彼女を突き飛ばした。そして、初めて、彼は「自分の言葉」を彼女へ吐いた。彼女に向けて、大声で叫んだ。その声は彼女には聞こえない。けれど、彼女の中にも何かが灯った。
彼の暴力は、「いじめていい子」に振るわれる、どうでもいい半自動の暴力ではなかった。きちんと彼女だけを見て、彼女を選んで向けられた聲の形だ。痛くて辛いけれど、かつての彼女が切望した、本当のコミュニケーションだ。
彼女は声を出さない。ただ彼女は彼を殴り返した。そして二人はお互いを殴り合う。それは野蛮なコミュニケーションだ。野蛮で悲しく、しかし真摯で、この上なく美しいコミュニケーションだ。その瞬間、彼らは、真実、対等になったのだ。

二人以外には、きっと誰にも分からない。彼らは、大人の手によって引き剥がされ、そして彼女はまた転校して行った。
何も言わず、まるで消えるみたいに。

物語は、このあとも少しだけ描かれる。僕はそれを、もう解説も説明もしない。読んでほしいと思う。読んでそれぞれに考えて欲しいと思う。できれば、あなたが何を感じたのか聞いてみたいと思う。
どうやらこの漫画は連載化されるらしい*1ので、雑誌への再掲は難しいかもしれないが、いずれ単行本に採録されるだろう。僕の家に遊びにくる機会があるなら、読ませてあげようとも思う。

ここからは、少し感想を書いておこう。
実は、このあとのシーン。最初に読んだ時に、少し違和感が残った。再会した彼の態度は、まるで自分の罪を忘れたかのようだと思ったのだ。
だが、こうやって物語をなぞって、少しだけ納得する。聲の形、というのは手話だけを指す比喩ではない。たぶん殴り合うことも聲の形だ。と、いうより、それが何よりも大事なコミュニケーションだったのだ。

彼女は突然の再会に身構えた感じはなかった。ただ、手話ができる彼に驚くのみだ。僕はその事実に少し頬が緩む。二人は、自分達が分かり合えることを疑っていない。
多分、二人は殴り合う中でそれを掴んだのだと思う。過去を許せるか許せないか、というものを跳び越えてしまう瞬間がある。跳び越えて繋がってしまう瞬間がある。
しかし、劇中ではそれが形を取る前に彼女は転校して行ってしまった。描かれてはいないが、彼女の両親が単純に彼女を心配し、思いやったのだろう。彼女も、それを振り払うほど無思慮な子どもではなかったのだと思う。二度目の転校は、彼女が強く望んだものではなかったのだろう。
ともあれ彼は、彼女に再会した時のために手話を覚える。後悔や謝罪のためだけではなく、会った時にもう一度、今度はもう少しソフトな形で、なるべくなら血の出ないコミュニケーションをとるために。
僕は最初に読んだ時の違和感の原因を知り、そしてそのことでとても暖かい気持ちになる。
僕は、たぶん彼女の両親と同じだ。過去が二人の間に作った傷は、簡単には癒えない筈だと思い込んでいる。でもその横で、二人はそれをやすやすと跳び越えてみせたのだ。
僕の抱いた微かな違和感が、二人の繋がりをとても強く証明する。他人には解らぬ結びつきというものが、確かに存在すると感じる。

コミュニケーションとは「相手を見る」ということだ。立場とかスクールカーストとか障害程度とか肩書きとか、そういうものではなく、「相手」を見ること。立場や肩書きに拠って話す人の言葉は僕の心にはまったく響かない。そういうことだと思う。
僕は、聴覚障害を持つ友人にこの漫画の話をしていない。それは、含羞や配慮ではない。この漫画の本当のテーマは障害の有無ではないからだ。人と繋がるということについて、彼や彼女らと話したくなったらこの漫画を勧めるだろう。
それでいいと思うし、そういう風に考えていられる自分のことも、割と好ましくも思う。

*1:できればラストシーンからの続きの話がいいなあ