林先生の

授業してるテレビが面白いです。
といっても、ヤンキー回と、痩せる気にさせる回しか見てないんですが。

僕は想像しうる中で最強に教育者に向いていない人間です。本人の探求心やら学習意欲がない場合、それでいいじゃない別に、という感想以外が決して生まれてこないんですね。更生、という概念がそもそも欠落していて、「みんな違ってみんないい教」の原理主義者みたいなものなのです。己の偽らざる心に従うならば悪も犯罪もすべて良い。でも、利害が敵対する場合に受ける迫害や、逆に殺されるというリスクを受け入れる限りすべて良い、というスタンス。
むしろ、リスクを理解した上で、リスクに見合わない及んでしまうその内なる欲求の強さに(善悪は別として)感嘆するものです。人間強度は別として、人間絶対値*1高いよね。

だから勉強放棄して辛い目に合うのも自由というか、それを理解した上で勉強放棄を選ぶことこそが真の「自由」じゃないの、とか思っちゃうのです。一応、リスクを想像できるような控え目なアラートは鳴らしますが、それで気付かぬなら気付かぬホトトギス

そんな僕は、やはり、「僕はこう思う」しか言えません。林先生の語り口に少し似てると言えば似てるけれど、決定的に違うところがあります。
彼は他人に影響を与えたいと感じていて、僕はなるべくなら他人に影響を与えたくない、と感じています。とても興味深いことです。
自分の中に倫理観が屹立している人を見るのはとても楽しいと思います。それが僕のそれと違っていればいるほど愉しいです。
林先生はそれを「広めるべき」と感じる程度には大事にしていて、それでも「押し付けてるほどのことではない」というバランスも保っています。そのバランスを取り払ってしまったのが山本太郎ですね。

なんか話ズレてきてますが、当Blogは林先生のテレビ出演をほんとうに応援しています。
次回は何かなー。

*1:欲望に耐える力を人間強度、欲望を生み出す力を人間絶対値と定義しています。ゆえに人間絶対値の低い人は己の絶対値を超える人間強度限界を検査する術を持ちません