ザ・ワールド・イズ・マイン

結構な確率でTWIMすなわちザ・ワールド・イズ・マインは読みましたかと聞かれることがあり、連載当時マリアの指が十文字にさくっと切られるシーンが痛そうだった、という程度の認識しかないのが気になっていました。

先日、若い人に蒼天航路を全巻貸しした返礼として、真説TWIMを借りたので読んでましたが、昨晩読了。

まだきちんとした感想らしい感想がまとまっていませんが、とりあえず子が生まれたばかりの身にはつらいシーンが幾つかありました。
つらいシーンを指して、ひどい漫画だ、と喚くほどアレではないのですが、作者の脳内についてはずっと考えています。何を伝えたかったのだろう、と考えています。インタビューを読むと、不快装置としての描写と、避けられない展開という「描写義務」としての性格が挙げられていたように感じました。それを通して何を描きたかったのか、というのは今でもまだ、答が出ていません。

連載当時は、生理的不快感や身体感覚、没入感、それらについての強いこだわりを感じる作品が多い時代だったように思っています。殺し屋イチとかもこの辺の時代じゃなかったっけ。

それらはただ読者の興味を惹くためのエログロではなく、何か、得体の知れない何かに突き動かされて、あるいは強い義務感によって描かれる衝動に、僕には見えました。
書かずにはいられない、あるいは、書かないわけにはいかない。
そんなものを感じる作品群の時代だったと思います。

僕はといえば、その衝動の出処が分からんなあ、と感じながら生きていたように思います。正直なところ、僕は2000年近辺のムーブメントにはあまりついていけていない若者でした。

物語を書いていて一番つまらないのは、描きたいシーンに合わせて人物を配置したり、都合よく動かしたりすることだと思っています。
壮大な例え話、皮を挿げ替えた寓話を僕は好みませんでした。ハッピーエンドにするために悪役に悔悛を強要し、読後感を良くするために幸運な偶然を頻発させる。都合の良いものを沢山投入することで物語は死んでしまうのだと、今でも思っています。

この物語は、作者が何を表現したかったかということを考える作品ではないように思っています。トシモンマリアの行動については、プロットを立てて作られた作品ですらないのではないかと僕は疑っています。
漠然としたタイムラインだけがあり、人物の意思に準拠しない出来事だけがあり、その世界で如何様に振る舞うかは、作者ではなく彼らに任されていたのではないかと考えています。

うまく言えないけど、これは、生々しく、残酷で、不都合で壮絶な風景画、のようなものなんだと思います。
また近日、これについては書きます。