生活と芸術

時を同じくしてチャタムハウスルールの回でも話題に上がっているのだけど、思考のスパンをどこで取るかって問題なのです。

今後五年くらいの安寧を選択して、十年後か二十年後の死を消極的に選び取るというのは、僕としては最もつまらないことなのだけど、貧すれば窮す窮すれば鈍す、というやつで「まずは当座の生活維持だ!」なんてのもよくある話。責められない話ではあります。

僕の勤める小さな会社ではこの四月にまた、年をとった人がクビになるようで、思うところが色々あります。再就職が難しい人を放り出すのは間接的な人ごろしに近いのでは、とか、でも会社経営は人の末期まで看取る仕事ではないはずだよな、とか、色々なことを思うのです。

いずれにせよ、愛が枯れてきました。愛のない風景に触れすぎていると、肌が痛いです。

続く。