ブラック・ジャック(手塚治虫/秋田書店)

先日アニメが始まったとのことで再び話題沸騰のこの漫画。わたくしもこの漫画について思うことは少なくありません。ちゅーか先日アニメのオープニングだけ見て色々脳から出てました。むしろ半泣きだった。
で。
思うんですけども。
この漫画って、もともと時系列がすごく複雑な構成になっているじゃないですか。連載時からそうだったかは不勉強な僕は知らないんですが、初めて読んだ単行本では少なくともそうでした。例えば後半になってピノ子誕生以前の話が挿入されたり、医学生時代の話があったりと、物語が厳密な時系列に沿って進行していくのではなくて、逆にバラバラな感じというか。
そして、それを踏まえて思うんですけども。
ブラックジャックの本当の最終回にふさわしいのはどの回か、という問題なのです。僕がこのアニメに注目しているのはそこであります。果たして手塚眞はどの話を最終話としてもってくるのか、と。
ものすごく気になります。
つって、最終話はどれかというアンケートをとれば、高確率で一位になる話はなんとなく予想がついて、それはたぶんブラックジャックが夢を見る話だと思うんです。
人生という電車がどうのとかそういう感じだった気がしますがちょっと題名忘れました。とにかくアレです。電車の中で如月先生だとかキリコだとか大人になったピノ子と出会うあの話。やがて目を覚ましたブラックジャックが乗った飛行機が飛んでいくカットで終わる、あの話。
たぶん、これが鉄板で最終回にふさわしい話、ということになると思うんです。もちろん僕も、物語の最終話という雰囲気は感じます。その飛行機が落ちて、それがブラックジャックの最期になるんじゃないかというような、ちょっと不吉な感じもするし、もしもそうだったとしても、何よりあの如月先生と夢でまた会うというのは、彼自身の人生におけるもっとも大きな幸福であるように思うんです。
でもね、僕、実はちょっと違う話を最終回に推したいんです。
何って言われると、つまりそれは「ゲラ」の回なんです。覚えてますか?大声で笑うクラスメイトの話。かつて、いつも独りでいた黒男に笑うことを教えたあのゲラの話。「こうかい?」ってひどくぎごちない泣き笑いのような笑顔を浮かべた黒男の表情。そして、時が過ぎ、再び彼の前に現れたブラックジャックの台詞。
「見つけたぞ。ゲラ」
「やあ 君か」
これだけで僕もうすでに半分スイッチ入っちゃうんですが、覚えてますか?思い出せない?じゃあ読んでもらうしかないんですが、ともあれこの話です。

どうしてこれを僕が最終回に推すかというのは、勿論この話がすごく好きだからというのもあるんですが、この物語におけるブラックジャック自身の幸福というものを考えると、どうしても外せない気がするからなのであります。
子どものころから、母親の仇を探して復讐することだけを目的に生きてきた黒男は、成長し、地雷の島でノラキュラへの復讐を果たしたものの、二人目、姥本琢三の死は高潔な医者として看取ってしまったわけであります。彼の娘から父が感謝していたと聞かされたときから、ブラックジャックにとって復讐の意味も同時に揺らぎはじめるわけです。
では、そこで彼が「自分の人生って一体なんだ?」と考えた時に思い出すのは何のことだろう、って考えるんです。
本間先生のこと?
如月先生のこと?
ピノ子のこと?
どれもイエスでしょう。でも、彼を冷酷な復讐鬼の道から、人間の道へ引き戻してくれたのは、顔の皮膚を提供してくれたタカシと、他ならぬゲラではないかと思うんです。
復讐する意味を失い、空っぽになった彼の元へゲラの消息が判明したという報せが入る。そしてブラックジャック、いや、間黒男は彼の元へ急ぐのであった。
なんて最終回はどうですか。

ちゅって、今調べたら原作だとゲラに会いに行くのは医局時代、つまり、医者になって真っ先にゲラに会いに行ったってことなんですね。ひゃー。しまった!確かに、よっぽど特別な事情でもない限り、探せば見つけられるよなあ。確かにまだ貧乏だった医局員時代に有り金ものすごく使って友達を探してたんだと想像すると、それもすごく間黒男っぽい。

でもでもでも、今回のブラックジャックはぜひ、ドクターキリコとの対比から、生きるべきか死ぬべきかいや生きるしかないだろう、とかそういうテーマを前面に出すよりも、ブラックジャック先生の、彼自身が生きた人生それ自体の意味、彼自身の苦しみと幸福について描いていただきたいと、切実に思うんです。